私は「事件・犯罪」系の本が好きです。
いわゆるアウトロー系の本ですね。
だからこそ社会科の教員になったのかもしれません。
「アウトロー」という言葉に引っかかりませんか。
ストライクのような基準があって、はじめてアウトローが存在するのです。
地理の話で例えてみます。
極東に位置する日本!?
社会科の授業で、メルカトル図法やモルワイデ図法など世界地図を紹介します。
あなたも一度は見たことのある「あの地図」です。
なぜ世界地図の話をしたかというと、日本は極東に位置する東アジアの国と学習します。
ん!?
極東。
とても東にあるという意味です。
東じゃないやん、真ん中やん!
はい、真ん中なんです。
日本で世界地図を見る限りは。
外国で世界地図を買ってみてください。
その国を中心とした世界地図になっています。
では「極東」に話を戻しましょう。
どこから見て東の端なのでしょう。
本初子午線(グリニッジ子午線)という単語を覚えていますか。
日本では兵庫県の明石市を通る東経135度の標準時子午線を、日本の時刻の基準としています。
世界の基準である経度0度は、イギリスのグリニッジ天文台です。
つまり、当時世界の中心であったイギリスから見て、東の端に位置しているのです。
でも、日本の世界地図でイギリスを見れば、西の端にある島として描かれています。
みんな自分を中心に物事を考えているみたいですね、私を含めて。
同じようにアウトローは、私から見てアウトローであり、本人からすれば普通なのです。
「正義の反対は悪ではなく、もう一つの正義」といわれます。
社会科を学習するうえで暗記をして点数を上げるより、点数は取れなくても、さまざまな角度から物事を捉える癖をつけることが大切だと考えます。
しかし、現実は教科書を終わらせなければいけないし、テストの点数を上げて評定を上げてやらなければ、志望校に進学させられません。
「成績を上げて志望校に合格させる」という基準自体が少しズレているのかもしれません。
偏差値だけではなく、本人の特性が最大限に活きる学校へ進学して欲しいのですが、納得してくれる保護者は多くはありません。
テストの点数よりまず授業を楽しめ!
中学3年生の授業で、「トロッコ問題」を取り上げたことがあります。
トロッコ問題とは、多くの人を救うために、1人を犠牲にするかしないかという倫理的ジレンマを問う思考実験のことです。
(画像引用:ITmedia)
同じ事故であれば犠牲者が少ない方がいいのか。
ただそれを選択するのは、あなた自身なのです。
もし一人の方が野球部の顧問の○○先生だったとしたらどうする?
そりゃ○○先生の方に切り替えるに決まってるやん!
なんて冗談を言いながら、トロッコ問題について考えたりしました。
日常では、このような答えのない選択が絶え間なく行われているのです。
何が道徳的に正解だとか間違いだとかではなく、答えがない問いに、いかにアプローチするかが大切です。
歴史がよりわかる勉強法
歴史を学習するうえで、「当時の人になりきって考えなさい」と教えます。
ちょっと歴史の話をします。
663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで唐と新羅の連合軍に敗れた後、日本では北九州の守りを固めました。
13世紀には元が二度も日本を襲います。
この時も対馬や壱岐、博多湾に攻めてきました。
都は東京ではなく京都であり、幕府は鎌倉です。
なぜ京都や鎌倉を攻めないのでしょう。
元のフビライ・ハンになったつもりで世界地図を見てください。
陸路で朝鮮半島の南部まで進むと、もう対馬は目前です。
その先には北九州があります。
当時は飛行機はなく、エンジンという動力もありません。
当然、対馬や壱岐を攻め、北九州へ侵攻するのが最短ルートなのです。
当時は海を渡るのは、とても大変だったのです。
そんな風に現代人の感覚ではなく、当時の人になりきって考えてみると「なぜ」が見えてきます。
「~の変」「~の乱」「~戦争」も必ず原因があります。
その「なぜ」の部分に注目すると、より歴史の流れもつかみやすいですよ。
現代も昔も政治の実権が欲しいのです。
現代でも与党になれば、総理大臣を選出することができます。
つまり、力を持てば多くの決定権を持つことができるのです。
家族でテレビのチャンネル争いになり、最後にはケンカに発展する。
現在では一人一台スマホを持っていれば、チャンネル争いは起きないですかね。
とにかく決定権を持つ政治の実権が欲しかったのです。
それが貴族であったり、天皇であったり、武士だったりするのです。
江戸時代と現代を比べてみる
『やまゆり園事件』を読了しました。
植松死刑囚は、「意思疎通ができない障害者は必要ない」と考えたのです。
では、この事件を歴史的に考えてみたいと思います。
江戸時代までは、口減らしのために生まれてきた子を間引いたり、うば捨て山というように年寄りを山中に置いてくるという習慣がありました。
残酷だと思われるかもしれませんが、当時は食料が輸入されることはありませんし、冷害などで収穫高が激減して飢饉が起きていました。
2019年の日本の食料自給率は38%です。
つまり、約6割が海外から輸入されているのです。
現在では輸入もあり、品種改良や機械化が進んだことで、食べ物に困ることはありません。
だからこそ福祉国家として、働けない人でも最低限度の生活を営む権利が保障されているのです。
江戸時代は、冷凍食品やレトルトなどの保存食もなく、今日一日を食べていくことで必死だったのですね。
しかし、現代は江戸時代ではありません。
憲法25条で最低限度の生活を営む権利が保障されています。
植松死刑囚の考え方は時代錯誤としか思えません。
このように社会科を学習するうえで、当時の人になりきり、当時と現代との違いを捉えられるようになると、より理解が深まりますよ。
まとめ
テストの点数や評定は大学までですが、そこから先は手探りです。
終身雇用や年功序列、企業内組合のような日本型雇用が終わろうとしています。
さらにコロナウイルスの感染拡大などで、まさに先が読めない社会といえます。
そのような社会に、「答えのない問いにアプローチし続ける力」が求められています。
「答えのない問いにアプローチし続ける力」こそ「生きる力」といえるのではないでしょうか。
ある山奥に小型飛行機が墜落しました。
無線機は壊れて助けを求めることができません。
たまたま通りがかる人をひたすら待つしかありません。
手持ちの食料は数日分しかありません。
弱った仲間を食べて生き延びることは良いことなのでしょうか。
そこに法律はありません。
道徳でしょうか、規範でしょうか。
他の仲間が食べ始めたから自分も食べる!?
神との対話のなかで決定することなのでしょうか。
答えはありません。
もし、あなたがその場にいれば、どのように行動しますか。
これは実際にあった事件です。
正義とは一体何なんでしょうか。
犯罪・事件系はアウトローと分類されます。
もちろん法を犯すことはいけないことですが、上記のようなパターンなら、あなたならどのように判断し、行動しますか。
アウトローは、「自分が普通だということ」を基準にアウトローと判断しています。
日本が自国の世界地図では真ん中に位置しながら、世界では極東といわれます。
あなたの現在の立ち位置は普通であり、道徳的に正解なのでしょうか。
よーく考えてみると、「社会の常識」から外れたアウトローなのかもしれません。
アウトローでなくても、マイノリティかもしれません。
では「社会の常識」とは、どのような定義なのでしょう。
江戸時代と比較したように、「社会の常識」も時代によって異なります。
もちろん、同じ時代においても日本とイスラーム圏の常識は違います。
グローバル化し、多文化共生社会といわれるなかで、もう一度自分の考えや立ち位置を考えてみるのは面白いです。
これこそまさに社会科の学習だと思います。
テストの点数だけにこだわるのではなく、当時の人になりきって考えてみてください。
同様に地理では、なぜそんな服装をして、なぜそんなものを食べているのかを気候を含めて考えてみてください。
「公民は無機質で面白くない」といわれます。
公民は、地理や歴史を学習したうえにあるものだと考えます。
地域や年代によって異なった「社会の常識」を学習したうえで、現代社会や政治の仕組みについて学習すると、公民にもおもしろ味が出てきますよ。
なんだかんだしているうちにテストの点数もついてきます。
簡単にいうと興味を持つことです。
明日の社会科の授業から、ぜひ当時の人になりきって考えてみてください!
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