背の順は差別!?
yahoo!ニュースの『なぜ誰もおかしいと気づかないのか…学校で「背の低い順に並ぶのは差別」と主張する現役教員の納得の理由』という記事に目が止まりました。
yahoo!ニュースの記事の内容をまとめました。
背の順は差別でありいじめである。
身体的特徴による差別の誇示。
大人社会では強制されない。
慣習になっており、誰もおかしいと気づいていない。
すべて名簿順でいい。
yahoo!ニュース
確かに慣習化されていて、中学校教員をしていても、あまり深く考えたことがありませんでした。
背の順は本当に差別なのか。
名簿順にすれば万事解決するのか。
私自身の経験や小1の息子の現状を踏まえて、「背の順」は差別であり廃止した方がいいのかを考えてみます。
結論からいうと背の順は差別とはいえず、制度を廃止するよりは、「他人を尊重する」教育を大切にすることが大切だと思えました。
「整列」の定義から、なぜ秩序立った整列が日本の教育で必要だったのかも含めて考えました。
「整列する」という文化
整列とは、きちんと列をつくって並ぶこと。
デジタル大辞泉
日本では全校集会などの学校現場に限らず、電車を待つなども整列して待ちます。
確かに整列した方がきれいに見えますし、電車の乗り降りもスムーズになります。
学校教育で整列できるように訓練されているからです。
ところが外国ではあまり整列した場面を見たことがありません。
整列したといえば軍隊でしょうか。
一糸乱れない秩序だった動きは、いかに統制がとれているかが一目でわかります。
日本の教育現場では軍隊の名残がいくつかみられると他の記事で書きました。
例えば体育大会での行進や大会本部前でクラス旗を掲げる仕草です。
まさに自衛隊の観閲行進です。
戦後、高度経済成長のなかで年功序列や終身雇用から、「会社と心中する」くらいの気持ちが必要だったのです。
現在では考えられませんが、会社で運動会をしたり、家族を連れて社員旅行があったくらいです。
とにかくミスを少なく生産性を高めるために会社という枠を超えて団結する必要があったからです。
そこで利用されたのが軍隊の制度です。
戦地から復員する人や軍事教育を受けた人が多くいたので、統制をとることは簡単でした。
それは会社だけでなく、学校現場でも行われていました。
「気をつけ!」
「右向けぇ~、右!」
中学校の体育の最初の授業は、集団行動です。
軍隊や整列を否定している訳ではありません。
一人のミスで生死が分かれる軍隊では、統制が取れた集団行動が不可欠です。
また整列はソートとも言い換えることができます。
メルカリで商品を購入する時に、「おすすめ順」や「新しい順」とソートすることがありますよね。
整列させるための「基準」が必要なのです。
それが背の順なのか、名簿順なのか。
背の順が慣習化されているなら、集団行動やブラック校則など、現在の教育とは無関係で形骸化されたものも見直さなくてはいけませんね。
時代ごとの整列の基準
30年前~自分が児童生徒だった時~
私が児童生徒だった平成初期から背の順はありました。
基本は背の順で、健康診断の時は名簿順でした。
ちなみに私は背が低く、当時もほぼ先頭か2番目でした。
特に差別だとは感じませんでしたが、「小さい」とからかってくるクラスメイトもいたことは確かです。
背の順に並ばなくても背の高い低いは一目瞭然で、何かにつけてマウントを取るのは、子どもなら仕方がないことだと思います。
3年前~教員時代~
私は3年前まで公立中学校で約9年間勤務していました。
朝礼などの集会は背の順、健康診断は名簿順でした。
生徒も特に違和感なく従っていましたが、これが慣習といわれれば慣習ですね。
ただ私が児童生徒だった頃と違うのは、名簿順に男女混合名簿ができたことです。
健康診断や体育があるので、男女別の名簿もありましたが、基本は男女混合名簿になりました。
現在~小学校の息子の場合~
今年、小学校に入学した息子に聞いてみました。
背の順は存在していて、廃止されていませんでした。
「番号順」といわれる名簿順は男女混合だそうです。
すべての学校で「背の順」が廃止された訳ではないみたいですね。
背の順、名簿順のメリット、デメリット
背の順の起源はわかりません。
学校では集会など大人数が一つの場所に集合することが多々あります。
小中学生といえど、同じ学年でも身長が頭一つ以上違うこともあります。
合理的に考えて、背の高い方が後ろになるように並べば見やすいのではないかと単純に思います。
大人社会では背の順はないとyahoo!記事にありました。
しかし、映画館で前の人が大きいので「見にくいな」と思った経験はありませんか。
また体育の授業では、前からペアを作ることがあります。
倒立する人を支えたりするのに、なるべく体の大きさが同じくらいのペアの方がいいですよね。
背の順は合理的で、一理はあると思います。
背の順で子どもは嫌な思いをするのでしょうか?
背丈という本人にはどうしようもない身体的特徴を並べて比較し、小さい方から大きい方へと序列をつけて並べる。一番小さい人と一番大きい人を確定して、誰の目にも明らかなように序列を公表する。
yahoo!ニュース
健康診断では名簿順が使用されます。
呼ばれるのが毎度、最後のほうだった方はいませんでしたか。
私の名字の頭文字は「よ」なので、背の順では1番でしたが、名簿順ではほぼ最後。
大学でもアルファベットで「Y」なので最後でした。
名簿順もどうしようもないことで序列をつけられ、公表されたことですが、それほど不利益は感じませんでした。
背の順という制度自体を否定しても意味がないと思います。
たとえ背の順が廃止されたとしても、クラス内での比較はなくならないからです。
お前何秒やった?
5教科合計何点だった?
体育で50メートル走が行われたり、テストが返却されると必ず陰で序列が作られます。
たとえ序列が公表されなくても、陰でヒエラルキーは確実に形成されるのです。
公表されるか否かのヒエラルキーが悪いのではなく、それがいじめにつながらないかが重要なのです。
だから背の順という制度を廃止すればよいという訳ではないのです。
まとめ
日本には「整列する」という文化・慣習があります。
もちろん外国でも整列することはありますが、災害の時でさえ秩序を乱さないのは日本特有のことです。
和を乱さないという良い側面もありますが、コロナ禍で、「俺も我慢しているのだからお前も我慢しろ」という負の側面も見られました。
この同調圧力というか、統制が取れた秩序は、軍隊の名残があります。
体育の集団行動や体育大会の行進など、整列し、秩序立った行動が学校で教育されているのです。
これも慣習で、誰もおかしいと気づきません。
整列には「基準」が必要になります。
そもそも整列しないでよいのなら「基準」は必要ありません。
「基準」が背の順なのか、名簿順なのか。
30年前は、基本は背の順で健康診断は名簿順でした。
私が教員をしている3年前頃は名簿順に男女混合名簿ができました。
現在でもうちの息子が通う小学校では背の順は存在し、廃止はされていません。
たとえ背の順が廃止されたとしても、子どもたちは陰で序列化し、ヒエラルキーを作ります。
でもそれが子どもなのです。
背の順という制度を廃止するのではなく、ヒエラルキーからいじめを生み出さないことが大切なのです。
あなたはは足が速いけど、国語が苦手だよね。
きみは絵がうまいけど、地理が苦手だよな。
でもみんな給食を食べるのは早いよね。
何かを基準に整列、ソートすることは簡単ですが、根本になる基準によっていろんな順番になるんです。
だから、公表されているか否かにかかわらず、目には見えない序列化を意識する。
体が大きい、足が速い、絵がうまい、給食を食べるのが早い。
体が小さい、国語が苦手、地理が苦手、発表するのが苦手。
どんな子もいろいろな得手不得手の組み合わせでできています。
背が高い、低いも整列の基準の一つに過ぎません。
「あいつは背は低いけど、足が速くてすばしっこいよな」
なんて、子ども同士では自然と認め合い、他人を尊重していることが多いです。
たまにマウントの取り合いからケンカに発展することもありますが、そこは大人が制止して諭す必要があります。
最初から「予防」として、転ばぬ先の杖のような対応をすることは子ども自身にとってもよくないです。
背の順を強制されない大人であっても、他人を尊重できない心の持ち主であれば本末転倒です。
だから序列を公表する制度自体が悪いのではないのです。
目には見えないヒエラルキーが、いじめにつながらないような教育の方が大切なのです。
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