範囲
江戸~明治維新
江戸の三大改革、文化、市民革命、産業革命、歴史総合
社会科は学校によって進め方が異なるので、学年やテスト名に関わらず、範囲の記事を選んでください。
江戸時代は入試で頻出です。
三大改革から文化、世界の市民革命、産業革命までを網羅しています。
大問9に歴史総合として難問を用意しました。
違う角度から江戸時代を問うてみました。
意外と同じ答えでも問われ方が変わると解けないんです。
江戸時代を違う角度から2回解いておくと、社会はもうばっちりですよ!
問題
問題は有料です。
購入を検討されている方は、保護者に相談してください。
解答用紙
【中2】学年末テスト(社会・歴史)予想問題【解答用紙】応用編
模範解答
【中2】学年末テスト(社会・歴史)予想問題【模範解答】応用編
解説
1.
(2)②
白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋ひしき
「白河」とは、白川藩(福島県)出身の松平定信を指しています。
後述する江戸の三大改革の一つである「寛政の改革」を行った松平定信です。
締め付けがあまりに厳しく、その前に政治を行っていた田沼意次の時代の方が住みやすかったという歌です。
このような世間を皮肉に風刺した歌のことを「狂歌」といいます。
もし年代順に並び替えの問題が来ても、この狂歌を覚えておけば「田沼→松平(寛政の改革)」で大丈夫ですよね。
2.
江戸の三大改革はめちゃくちゃ大事です!
誰が何をした。
その内容まで表にまとめておきましょう!
改革名 | 人物 | 内容 |
公事方御定書 | ||
享保の改革 | 8代将軍 徳川吉宗 | 目安箱の設置 |
上げ米の制 | ||
棄捐令(きえんれい) | ||
寛政の改革 | 老中 松平定信 | 囲米の制 |
寛政異学の禁 | ||
旧里帰農令 | ||
株仲間の解散 | ||
天保の改革 | 老中 水野忠邦 | 人返し令 |
上知令 |
享保の改革
幕府の財政難を立て直すために、質素倹約を命じます。
簡単にお金がないということで、当時は税金である米が少なくなりました。
新田開発をしたり、青木昆陽が甘藷(さつまいも)の栽培を提案したりしました。
上げ米の制は、大名が江戸にいる期間を半分にする代わりに、1万石につき米100石を幕府に納めさせました。
寛政の改革
松平定信は徳川吉宗の孫にあたります。
松平定信はおじいちゃんの改革をお手本に頑張ります。
同じく幕府が財政難で金欠状態でした。
棄捐令(きえんれい)は、旗本や御家人の借金をチャラにしました。
鎌倉~室町時代の徳政令と同じです。
囲米の制は、飢饉に備えて大名に1万石に50石を常に常備させました。
旧里帰農令(きゅうりきのうれい)は、都市に出てきた農民を農村へ返し、米を作らせました。
天保の改革
同じく質素倹約を命じます。
人返し令は、天保版棄捐令です。
やはり年貢である米を作らせるために、都市へ出てきた農民を農村へ返しました。
(5)
商工業者の組合のことを「株仲間」といいます。
平安~戦国時代までは「座」と呼ばれていました。
3.
日本が江戸時代で大きな争いがなく、平和な時代を送っていた時、
欧(ヨーロッパ)米(アメリカ)では、どんな人も自由で平等であるという人権を求めて、
市民革命が起きていました。
将軍を頂点に大名や武士、農民という身分のピラミッドがあった日本。
欧米では王様が絶対じゃなくて、一般市民にも人権があり平等だと革命を起こします。
王様をギロチンにかけて、民主主義を勝ち取っていったのです。
その考えのもとになったのが有名な3人の啓蒙思想家です。
ルソーやロック、モンテスキューです。
やがて日本が明治時代になった時、人権という考え方が入ってくるのです。
5.
(1)
ア:アヘン戦争、1840年
イ:アメリカ独立宣言、1776年
ウ:人権宣言、1793年
6.
(3)①
ア:写真右端の人物
イ:西南戦争の前。詳しくは後述。
ウ:後に津田塾大学をつくる津田梅子がいいました。
岩倉使節団は、欧米の進んだ政治制度の視察や不平等条約の改正が目的でした。
それはいち早く市民革命が起こり、議会制民主主義など進んだ政治制度が整っていたからです。
明治政府の主要なメンバーがいない日本で、西郷隆盛が勝手に動き出すのです。
鎖国していた朝鮮を武力で開国させようという「征韓論」を唱えました。
結果的に日本は朝鮮と不平等条約である日朝修好条規を結びました。
なんか日本が過去にされたことと同じことをしていますよね。
ではなぜ西郷隆盛は、これだけ強引なやり方を取ったのでしょう。
明治政府は四民平等として武士の身分を廃止し、俸禄を撤廃、廃刀令を出します。
幕府からの給料は停止され、刀を持てなくなったのです。
つまり、武士としての特権が取り上げられてしまいました。
当然、武士だった人たちは不満が溜まりますよね。
それが各地で起きた士族反乱です。
征韓論も武士の不満をうまくかわそうとしたのですが、結果的に失敗に終わります。
そこで西郷隆盛は故郷の薩摩に帰り、西南戦争を起こすのです。
しかし、政府軍によって鎮圧されてしまいます。
同じく征韓論を主張した板垣退助は、武力ではなく言論によって政府を変えようとします。
当時の政府は薩長土肥といって、薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩の出身者によって占められていました。
板垣は憲法や国会をつくって、みんなで国のことを話し合おうとしたのです。
これが自由民権運動です。
7.
(2)
アフリカ大陸の国境線は直線的に引かれていることが多いです。
基本的に国境は、山地や河川、住んでいる民族などによって引かれるのでまっすぐにはなりません。
アフリカは長く欧米の植民地でした。
欧米諸国は、部族などに関係なく緯線や経線にそって機械的に国境線を引いたのです。
現在のアフリカで国同士の争いが絶えない原因はそこにあるのです。
(3)
生産量に対して輸出量が少ないことです。
なぜでしょう?
中国もインドも10億人を超える人口を持つ国です。
たくさん穫れても自国の消費が多いからです。
9.
(1)
「問屋制家内工業」と「工場制手工業(マニュファクチュア)」が逆ですね。
(2)
「安政の大獄」ではなく、「蛮社の獄」。
安政の大獄は、日米修好通商条約を天皇の許可なく結んだ井伊直弼の対応を非難した人たちが処罰されました。
(4)
南部ではなく、北部の勝利です。
(6)
浦賀は神奈川県。
下田は静岡県。
(9)
日清修好条規は日朝修好条規のような不平等条約ではありません。
大隅諸島ではなく、千島列島です。
(10)
イギリスではなく、ドイツ。
日本国憲法ではなく、大日本帝国憲法です。
まとめ
いかがだったでしょうか!?
問い方が変わると同じ答えでも出てこない場合があるでしょ。
だからこそアウトプットが必要なんです。
あと「歴史の流れ」をつかめましたか?
単なる丸暗記ではなく、流れや背景、世界とのつながりを理解するとスッと頭に入ったと思います。
逆にこれだけすれば成績はいくらでも上がるのです。
まずは評定を1つ上げましょう!
もちろん部活や塾で忙しいのはわかります。
1日30分で評定が1つ上がったらどうでしょう。
自信がついて、自然と「違う教科で評定を1つ上げたい」という気持ちが出てきます。
そうなれば後はこちらのものです。
1日30分の学習習慣をいかにつけるが一番のポイントです。
来年の今頃は私立高校の入試が終わり、公立高校の入試を待っている時期です。
その時後悔しないために、今日から1日30分の学習習慣をつけませんか。
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