以前に書いた『【おかしな人が多い】教師は本当に社会を知らないのか?【社会経験がない】』の記事の反響が大きくて驚いています。
まだ読まれていない方は、こちらの記事も参考にしてください。
私は公立中学校で約9年間勤務し、荒れた学校から落ち着いて成績が優秀な学校など、さまざまな学校を経験しました。
教師は社会を知っている or 知らない。
教師は世間知らず or 世間知らずではない。
結果、上記のような極端な二元論では到底結論付けることはできませんでした。
以前の記事では、「世間知らずの教師」「教師はおかしい」という原因を「ナルシシズム」の面から考えてみました。
一見、大人に見えても本当はヒゲが生えた5歳児だったというオチでした。
すべての教師がナルシシズムを持った5歳児だとは言っていません。
約9年間のなかでも素晴らしい教師をたくさん見てきました。
ただ世間で「教師は世間知らずだ」「おかしな人が多い」といわれる所以を現場で感じたことは確かです。
私自身の経験でも「変だな~」と感じた教師は少なからずいました。
もちろん賛否両論はありますし、どのような角度からアプローチするかによって見え方も異なってきます。
今回は「スタンフォード監獄実験」で証明された「普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう」という角度からアプローチしました。
- このような記事を書けば教師不足に拍車がかかるのではないだろうか。
- 確かに我が子の担任も変わった先生だ。
- 思い返してみれば自身の経験でも変な教師はいた。
とにかく世間一般でいわれる「教師は社会経験がない」「世間知らず」「おかしな人」という言説を、今回はスタンフォード監獄実験から考えていきます。
もっと詳しく学校のことが知りたい方におすすめの記事です。
スタンフォード監獄実験とは
最近、ES(エス)という映画を観ました。
ES(エス)の題材となったのがスタンフォード監獄実験です。
スタンフォード監獄実験
新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた心身ともに健康な21人の被験者の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。その結果、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるということが証明された。
つまり、元来の性格に関わらず、人は特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動するというものです。
ピンときましたか!?
学校という特殊な環境で、教師と生徒という対等でない立場から「おかしな教師」が誕生するのではないかというのが今回の仮説です。
あえて「特殊な」と表現したのは、学校は風通しが悪い古い体質が残った場所だからです。
学校から一歩出れば、「傷害罪」や「脅迫罪」「恐喝罪」にもなりかねない事象が平然と行われています。
指導という名目だったり、生徒同士、時には教師同士でも起きています。
しかし、警察が介入することはまれで、黙認したり隠そうという体質まであるのです。
私の約9年間の経験で、荒れた学校から落ち着いた学校もあったと言いましたが、学校が荒れ、過酷な環境であればあるほどスタンフォード監獄実験に似た環境になりました。
約80年前、ナチスのアイヒマンは、多くのユダヤ人を虐殺した指揮をとりました。
そのように聞くとアイヒマンは、冷酷非道な人物だと想像しますが、結婚記念日には必ず妻に花束を贈っていました。
アイヒマンは決して異常人格者ではなく、ナチスという環境下で虐殺という役割を担ったといわれています。
では学校というある種特殊な環境で、教師と生徒と立場が分かれ、一定の権力が与えられると「おかしな教師」が誕生するのでしょうか。
結論は半分正しく、半分間違いです。
学校や教師、生徒といってもさまざまで荒れた学校や落ち着いた学校、それぞれの人格も役割も異なります。
半分正しいとしたのは、学校が荒れ、よりストレスがかかる過酷な環境であればあるほど、与えられた権力や役割を強化してしまうのです。
では、次に経験者しか知らない学校の特殊な環境についてお話します。
スタンフォード監獄実験をもっと知りたい方は映画ES(エス)をご覧ください。
映画ES(エス)はオンデマンドにはありません。
TSUTAYA DISCASでは、ネットで予約した作品が自宅のポストに届きます。
返却はお近くの郵便ポストに投函するだけ!
>>>TSUTAYA DISCASを30日無料で試してみる世間しらずの教師が誕生する環境
風通しが悪い古い体質
まず俯瞰的に学校を見た時にいえるのが、すべてが風通しが悪く古い体質なんです。
ハード面ではトイレが汚い。
汚れているというより、作り自体が古く、和式便所が多く残っています。
ファックスを使用している。
大昔ではなく、2010年代の話です。
公務支援パソコンが普及してきたのですが、部活動の大会の申し込みはファックスや郵送が主でした。
ソフト面では、「親方日の丸式」で波風立てずに穏便に定年を迎えるという考え方。
The地方公務員です。
出世を目指す人は、口では「生徒のため」ですが、見ている先に生徒はおらず、地域であり教育委員会がありました。
その他も前例踏襲主義で、なるべくややこしいことは避けます。
まず、このような風通しが悪く古い体質がベースにあることを押さえておいてください。
教師は意外と体育会系
現在の感覚からすると体育会系は時代遅れのような気がします。
しかし、私が勤務していた2010年代は、まだまだ体育会系の臭いがプンプンしていました。
公務員という立場で一定の権力が与えられると、「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」という考え方になってしまうのかもしれません。
ある意味身分が保障されている訳ですから、多少の問題があっても波風立てずにおこうと。
自衛隊や警察も同じですことがいえます。
上下関係を大切にしながらも内部では陰湿ないじめやパワハラが行われているという事実。
学校も然りです。
たとえば体育大会の朝は誰よりも早く出勤する。
与えられた役割や仕事ではなく、「そのようにせざるを得ない空気」があるのです。
いつも始発近い電車で出勤しているのに、さらに早い始発で駆けつけるともっと早い人がいるんです。
先輩教員から「遅いぞ、○○先生はもうやってるぞ」と追い打ちの言葉。
特に若い男性の教師は体育会系の雰囲気を求められます。
体育大会に限らず指導全体に渡ってです。
指導しきれないと「指導力不足」のレッテルを貼られるので、生徒指導や部活動で厳しい指導につながりかねません。
お客さんは子ども
良い意味でも悪い意味でもありません。
子ども相手の仕事は大変で、心理学など深い知識が必要とされます。
ただ以前の記事にも書いたように、子ども相手だからこそ教師が自分の非を認めなかったり、言いくるめたりもできてしまうのも事実なのです。
「教師は社会経験がない」、「世間知らずだ」といわれる所以はここにあるのかもしれません。
歳が離れれば離れ、親子やそれ以上の歳の差になれば指導なんて赤子の手をひねるようなものです。
もちろん、児童生徒の将来をきちんと考え言葉を選び指導している教師はたくさんいます。
私の息子は小学校低学年で、自宅学習のために国語の問題集を買いました。
問題集の冒頭に書いてあったことに衝撃を受けました。
塾でさえ補習塾・進学塾を問わず、明確な輪郭をもった技法を教えてくれるような所は、数少ないのが実情です。特に小学1~3年生ともなると、子どもだましの”お遊戯授業”が横行しがちなのです。
小学校低学年ではひらがなや漢字を覚え、教科書を音読できるようになればいいと思われがちです。
でもいつの間にか作文や読書感想文を書かなくてはいけなくなります。
中学3年生は、志望校のアドミッションポリシー(求める生徒像)を読んで、自己報告書を書くのですが、作文に苦戦する生徒を多く見てきました。
ではいつ作文に必要な国語力を身につけるの?
もう小学校低学年から始まっているのです。
小学校低学年では、中学生のような5段階の成績は付きません。
さらに高校進学の内申点のように成績が結果に直結しないこともあり、ある意味授業がいい加減にしても何とかなってしまう側面が否めないのが現状です。
中学生であれば、「先生に変わってから成績が落ちた」「授業がわかりにくい」など必要以上の意見やクレームがきます。
さらに私自身が小学生だった時に、ある程度できた同級生の男の子が、体格のいい女性教師に指導されている場面を見ました。
指導というより、マシンガンのようなトークで圧倒し、言いくるめる印象だったのが忘れられません。
「わかった、もーいい、わかった、もーいい」と子どもに口を挟ませません。
まさに論理や説諭ではなく、「言いくるめる」という表現がぴったりで、子どもながらに理不尽だと感じたことを現在でも思い出されれます。
「お客さんが子ども」というのは、大人相手だと通用しないであろうことがまかり通ってしまうことがあるのです。
まさにスタンフォード監獄実験のように、教師と児童生徒という立場と与えられた権力がもたらす結果なのかもしれません。
荒れた学校
読者の方は自分が卒業した学校しか知りませんよね。
校庭にバイクが入ってきて暴走していたという学校もあれば、教師に反抗するなんて信じられないという学校もあるでしょう。
後者の学校を卒業された方にとって、これから話す荒れた学校が本当に実在するのかと疑いたくなるかもしれません。
でも残念ながら本当なんです。
昭和ではなく、2010年代のことですよ。
noteにも書いたかもしれませんが、初めて赴任した学校の廊下でトイレットペーパーが燃えていました。
事故ではなく、生徒がライターで火をつけたのです。
授業中、教室の後ろでトランプ合戦が行われ、クラスの1/3の生徒は離脱して廊下を歩いています。
勝手に塀を乗り越え学校外へ出て、飲み食いし、タバコで一服して帰ってきます。
「敬語を使いなさい」、「正しく制服を着なさい」という次元ではないのです。
タバコを吸っていても現認されなければオッケー、茶髪、私服でも対教師暴力をせずに授業を聞けば、基本的に指導はしないという方針でした。
繰り返しますが1970年代の昭和ではなく、2010年代の話です。
荒れた学校では、教師はまず自分の身の安全を確保する必要があります。
生徒が蹴った足が女性教師の手に当たり、指を複雑骨折させた事件も起きました。
毎日のようにどこかの学年で事件が起き、夜遅くまで指導や会議が行われます。
「またあの学年かよ」「またあの教科で」など教職員の心の余裕はなくなり、いつもギスギスしていました。
新たに異動した学校は、非常に落ち着いていて学力も優秀でした。
前の学校の癖が抜けずに生徒とタメ口で話していると、生活指導の先生から「生徒にタメ口を使わせてはダメ、指導しないといけない」と注意されました。
これ意外と教師あるあるなんです。
学校によって指導基準が異なるので、異動してから慣れるまで苦労します。
特に前の学校が荒れていて、「これくらいは指導しなくても大丈夫」と思うのですが、基準が全然違うんです。
ある体育の教師がものすごく落ち着いた学校へ転勤された後、驚きのエピソードを教えてくれました。
「あいつらちゃんと並ぶねん。号令通りに前にならえをするねんけど、手首から先を少しだけ下げるねん。それがあいつらの抵抗やねん」と笑っていました。
中学校と一言でいってもさまざまな学校があります。
特に荒れたしんどい学校では、刑務所や監獄に近い環境なんです。
余計に教師は立場や権力を行使して荒れた生徒を押さえて指導しようとします。
生徒は「教師は敵だ」と思い込み、さらに悪い手段を用いて権力に抵抗してきます。
こうなると負のループです。
映画ES(エス)の題材になったスタンフォード監獄実験でみられたように、元の性格より与えられた役割の要素が強く出てしまうのです。
結果、教師も生徒もエスカレートしてしまい暴言や体罰、対教師暴力に発展していくのかもしれません。
荒れた学校については下記の記事を参考にしてください。
生き残ったのがおかしな教師!?
学校は風通しが悪く古い体質です。
さらに体育会系気質であり、子ども相手、荒れた学校など、さまざまな要素がベースにあります。
教師不足が叫ばれるなかで、精神疾患を理由とする退職者が右肩上がりに増えています。
上記の環境を考えると、「教師は社会を知らない」といわれる理由がお分かりになったかもしれません。
では、そのような過酷な環境で生き残った教師にはどんなタイプの人がいるのでしょうか。
そこに「教師は社会を知らない」「世間知らず」「おかしな人」といわれるヒントが隠されているかもしれません。
変なスーパーマン
言い換えれば「実力はあるのにわがままな教師」。
授業力や生徒指導力があり、生徒からの信頼もあります。
確かに実力はありますが、実力を担保に管理職に自分の要求を通そうとする傲慢な面がみられます。
たとえば「自分が担任を持つと学年全体が見られない」と若いのに担任を拒否します。
また部活動全員顧問制なのに顧問から外れるように工作したりもします。
生徒には直接被害はありませんが、文句をいうので学年で孤立しやすく、学年を持ち上がらないで渡り歩く傾向があります。
「実力」が絶対であり、結果さえ残せば管理職にもわがままを通してよいのでしょうか。
教師も仕事であり、結果を残すことは大切ですが、すべて一人の力で成しえることは難しいです。
業務過多でブラックな環境では、少しでも仕事を減らしたい気持ちはわかりますが、実力があるのであれば惜しみなく使って欲しいです。
自分の言うことを聞いて結果を出す生徒はかわいく見え、逆に反対したり結果を出せない生徒には厳しい対応を取ることも。
面白い授業をされクラス経営も上手なのに、絶対に特別支援の生徒を持たない教師もいましたね。
部活動絶対主義
授業 < 部活動
中学校では、「部活動絶対主義」の教師が意外と多いです。
土曜授業にあたっているのに授業に来ず、午後の部活動から来る教師がいました。
部活動を熱心にみてくれるのは良いことですが、教科が授業は手抜きの場合があるのです。
中学校は専門の教科で採用されていますし、部活動が好きな生徒でも成績を上げたいと望んでいます。
なぜ「部活動絶対主義」になるのかを考えてみました。
いろいろ理由はありますが、一ついえるのは結果が明確に出ることです。
学習の成果が出るには時間がかかります、人格の形成にいたってはもっと長い目で見る必要があります。
ところが部活動だと市の大会で優勝、全国大会出場などニュースにもなるほどです。
もちろん学習面でも以前より成績が上がったということはありますが、それ以上にわかりやすいです。
これまた「実力」が絶対という考え方にもつながり、「全国大会に出場させる教師はすごいんだ」となる訳です。
部活動の実績をもとに、要望やわがままな要求を管理職にすることがあります。
部活動は保護者や地域に根差している部分が大きいので、実力がそれ以上の実力に見えてしまいます。
利害があるのは特定の部活動に所属する生徒だけです。
権力があるのは顧問、いうことを聞かないとレギュラーから外される可能性もあります。
暴言や体罰、隠ぺいは、このような特殊な環境下で起きるのです。
最近問題になっているジャニーズ問題と同じですね。
学校の中の部活動という特殊な環境下で、実績がある部活動であればあるほど教師(顧問)と生徒の役割が強く、問題が表面化しないことがあるのです。
ヒステリー
「ヒステリー」という言葉を調べてみると、「感情のコントロールができない人」というイメージをもたれがちです。
しかし、「解離性障害」と呼ばれているように精神疾患の症状だそうです。
実際に「感情のコントロールができない人」なのか「解離性障害」かは別にして、論理的に話せない教師がいます。
もともと「感情のコントロールができない人」や「解離性障害」なのか、荒れた学校を経験した結果なのかはわかりません。
ただ私自身が小学校の体験のように、教師が児童に話す機会をあたえず、マシンガンのように言葉を投げかけた事例がありました。
小学生ながら、明らかに教師が話している内容が論理的でないことがわかりました。
つまり感情的に怒っているのです。
教師も感情的になることはありますが、その後のフォローが大切です。
時間をおいて冷静に説明したり、時には他の教師や保護者にも協力してもらってフォローします。
教師自身の都合でクラスを叱ったり、指示が通らないので職員室に帰ってしまうなど言語道断です。
このような教師は同僚にも感情的に当たってきて困る時があります。
謎に包まれた独自路線
これはみなさんも想像できますよね!
良い意味でも悪い意味でも学校に一人はいた謎で変わった教師です。
学校は本当に面白い場所です。
職員室にいるメンバーで、もう一つUSJが作られるのではないかと思うほど個性豊かなんです。
- 時間を見つけては、どこかの部屋で寝ていて、最終的にセコムをセットされて学校に泊まった教師。
- 「自分は躁(状態)だ」と豪語して、いつでもどこでも元気いっぱいの教師。
- 「昔から教師になるのが夢だった」と生徒の前で言っていたのに、生徒を盗撮して捕まった教師。
元気いっぱいなのは良いことですが、ずっとハイテンションで接しられると疲れます。
私は「教師になろう」なんて思っていなかったので、夢を実現された教師なんだと感心していました。
残念な結果になりましたが、これはほんの一例に過ぎません。
テーマパークがもう一つ作られるくらい個性豊かなんです。
役割に従ったというより、教師という枠組みをはみ出して独自の路線を歩んでいらっしゃいます。
仕事ができる聖人
やっぱりいるんです!
仕事ができて実力があるのに傲慢にならず、生徒や学校のためにやってくれる教師がいます。
そりゃ聖人に見えても並々ならぬストレスを抱えているでしょう。
ある教務主任をされていたAさんの話です。
教務主任という仕事柄か、管理職からの頼まれごとも多く、土日に出勤して地域に配る書類を作っていました。
私は部活動での出勤なので少しばかりの手当が出ますが、Aさんは完全なサービス出勤。
Aさんは授業研究も熱心で、一緒に教育大学付属中学の研修会にも参加したりもしました。
Aさんは担任や部活動の主顧問は持っていなかったものの、言葉では表現できないほどの業務量でした。
たくさんの業務を正確にこなしたうえで、ICTを用いた面白くてわかりやすい授業をされていました。
それでも決して傲慢にならず、かといって管理職に言われるがままでもなく、仕事をこなされていました。
Aさんはポロっと、「本当に大変ですよ」と言っていましたが、到底私にはマネできることではないと思えました。
もちろん私ができる範囲でお手伝いはさせてもらいましたが、実力があっても傲慢にならない教師もいるんだなと思えた出来事でした。
聖人と思える教師は息抜きやストレス管理が上手なんですかね。
莫大な業務量に関わらず、心に余裕を持って生徒に対応されていました。
ブラックで過酷な環境下でも役割に囚われず、生徒にも学校にも優しい聖人のような教師もいるのは事実です。
その他
「ヒステリー」は、「感情のコントロールができない人」ではなく「解離性障害」と呼ばれるといいました。
もともと「解離性障害」を持っていたのか、ブラックで過酷な環境の結果なのかはわかりません。
発達障害を持つ小中学生の割合は8.8%といわれています。
40人学級であれば、クラスに3~4人はいる計算です。
そうなれば発達障害を持つ教師も学校には存在するはずです。
別に発達障害を悪くいっているわけではないですよ。
私自身も診断は出ていませんが発達障害の傾向があると認識しています。
発達障害は発達の特性であり、特性をうまく生かせば、より大きな成果が出ます。
職員室でも自虐っぽく、「自分は絶対に発達障害だ」や「旦那は絶対にアスペだ」と豪語している教師もいました。
学校という特殊な環境だからこそ、発達障害の特性が生かせるのかもしれません。
「教育は人格の形成」といわれるように、すぐに結果が出ないな中、粘り強くこだわって継続することはかなりの忍耐力が必要です。
発達障害の特性が良い方向に出ればいいのですが、悪い方向に出ると「おかしな人」になってしまうんですかね。
でも確実にいえることは発達障害を持っている教師はいるということです。
まとめ
今回は「教師は社会を知らない」「世間知らず」「おかしな人」をスタンフォード監獄実験の側面から考えてみました。
「元来の性格に関わらず、人は特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動するのか」とうことです。
学校に置き換えてみると、学校という特殊な環境下で、荒れがひどく過酷な環境であればあるほど、家族がいて子どもにも優しい教師でも「世間知らず」のように振る舞ってしまうのかという仮説でした。
結論は半分正しく、半分間違いです。
半分は正しいのです。
つまり、学校でも普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうということです。
自身の経験でも荒れた学校では顕著でした。
ある荒れた学校へ異動して学校長と面談した時、最初の質問がこれでした。
「メンタルは強いか?」
授業力でも生徒指導力でもありませんでした。
荒れた学校の生徒はどんな教師であろうと敵だと認識しています。
こちらは教師という立場であらゆる権力を合法的に行使しながら生徒を押さえようとします。
まさに映画ES(エス)にみられるスタンフォード監獄実験そっくりですね。
学校も実験同様に互いがエスカレートして暴言や体罰、対教師暴力に発展するのです。
荒れた学校は刑務所や監獄なんです。
そのような過酷な環境を経験して教師は良くも悪くも成長していきます。
落ち着いた学校に異動しても、必要以上に指導し過ぎたり、部活動で結果を求めて暴言や体罰に至る場合もあります。
不適切な指導とニュースで報じられるのを聞いて、「やはり教師は社会を知らないな」と思われるのかもしれません。
何をもって「社会を知らない」や「世間知らず」と線引きするかは難しいですが、学校自体が特殊な環境なんです。
ただスタンフォード監獄実験でみられたように刑務所に似た学校という特殊な環境下で、特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうというのは間違いないです。
スタンフォード監獄実験をもっと知りたい方は映画ES(エス)をご覧ください。
映画ES(エス)はオンデマンドにはありません。
TSUTAYA DISCASでは、ネットで予約した作品が自宅のポストに届きます。
返却はお近くの郵便ポストに投函するだけ!
>>>TSUTAYA DISCASを30日無料で試してみる
コメント