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【大阪の黒染め強要訴訟の裁判結果】「人権侵害」ととらえるのは早計【元公立中学校教師の考察】

2021年10月28日、大阪高裁は一審大阪地裁判決を支持し、原告側控訴を棄却した。

校則や黒染めの強要は「裁量の範囲を逸脱しない」と判断。

別の指導を違法として府に33万円の支払いを命じた。

女子生徒は2015年の高校入学後、髪を黒く染めるよう繰り返し指導され、16年9月以降に不登校となった。

ニュースを見て、この判決を安易に「人権侵害」だと考えるのはいささか早計だ。

「黒染め強要」という言葉を見れば、少なからずかわいそうだと同情する気持ちになるだろう。

ただ可能な限り、事実や学校の現状を考えて掘り下げて考えたい。

底辺学校を何校も経験した元公立中学校教師が、黒染め強要を分析してみた。

目次

教育困難校

調べてみると、当該高校の偏差値は44。

過去5年間で3回も定員割れしていて、2021年度は240人の募集に180人の志望者が集まり、倍率は0.75倍だった。

偏差値をものさしにするなと言われそうだが、偏差値と定員割れの現状から、荒れた教育困難校であることが推測される

同じ大阪にある偏差値が74の天王寺高校は制服がない。

大体、トップ高校は制服がなく、下位にいくほど制服率が高くなる。

ある程度校則で縛らないと、とんでもないことになってしまうからだ。

まず第一に、当該高校は教育困難校であり、校則だけでなく、社会のルールを破る生徒が少なからずいるという現状をおさえておく必要がある。

教育現場の荒れと体罰

私立高校であれば、校則に従えなければ退学処分となるが、公立高校であれば簡単に退学処分にすることは難しい。

さらに学校だけではなく、時代によっても指導法は大きく異なる。

1970~1980年代にかけて校内暴力が増え、教育現場が大きく荒れた。

他の記事でも書いたが、生徒指導要員として、柔道ができるというだけで教師に採用されたくらいだ。

定年間際の先生から実際に聞いた話である。

教卓にはバリカンが常備してあり、頭髪違反した生徒はその場で丸刈り、保護者へは事後報告だった。

学校教育法11条で体罰禁止が明記されていたが、校長や教育委員会は黙認していた

授業を成立させて、真面目な生徒の学力を保障することに精一杯だったからだ。

体罰がうるさく言われ始めたのは、大阪の桜宮高校で体罰自殺事件が起きた2012年頃からである。

体罰や黒染め強要を肯定しているのではなく、長年にわたり荒れから学校を守るために厳しい生徒指導をせざるを得ない状況であり、うるさく言われ始めたのは最近のことだということだ。

教育委員会や校長は風見鶏

当時所属していた校長から、こんなことを言われた。

生徒が茶髪に染めてきても学校に入れないことはできない。裁判をされると負けるから。

校長に確固たる意思はない。

当然、教育公務員として裁判所の判例に従うしかない。

だから判決次第で、委員会や校長の言っていることは変わる。

朝令暮改である。

極端な話、朝に言っていたことと、夕方に言っていることが違う。

そうなると現場で指導にあたる教員にしわ寄せがいく。

えっ、それまでオッケーじゃなかったの!?

また新たな判決が出れば、180度コロッと変わる。

もうやってられないというのが、現場の本音だろう。

私もその一人だった。

判決文を読んでみた

争点

争点は3つ

  1. 校則ならびに生徒指導の方針に違法性はあったのか
  2. 頭髪指導に違法性はなかったのか
  3. 生徒が不登校となったあとの高校の対応に違法性はなかったのか

判決

1と2に関しては、裁量の範囲を逸脱しない。

3に関して、一部生徒側の主張が認められ、府は賠償責任を負った。

また、

1に関して、校則が憲法13条の個人の尊重に違反しているとはいえない。

2に関して、最終的に任意に応じて黒染めに応じた。

母子家庭であることへの中傷の有無も争点となり、

生徒本人による自発的な改善の見込みは極めて低く、家庭内での指導・改善に期待することも困難と裁判所が判断した。

教育困難校の実態

現状や事実を知らず性善説の立場に立てば、うちの子どもが無理矢理黒染めさせられるなんて、学校は鬼のような対応だと思われるだろう。

私たちは、自分が行った中学や高校しか知らない。

そして、それが世間の当たり前だと考える。

荒れなどほとんど無かったという方は、理解不能だろう。

「バイクが廊下を走っていた」という噂は聞いたことがあるかもしれない。

実際に勤務した、ある中学校では、空いているグランドに原付バイクが入ってきたことがあった。

また違う海が近い教育困難校では、授業と授業の間に教材研究をするなどの仕事ができなかった。

学校内をパトロールするのだ。

人気の少ない校舎の端では、早弁(給食の時間より早く弁当を食べる)のゴミが捨てられている。

白米の残飯だけでなく、食後のタバコまで捨ててある。

それをビニール袋に集めて回る。

授業中にも関わらず、各クラスから2~3人の浮遊生徒が廊下を闊歩している。

特別支援の先生が、廊下に机を出して、小学校の算数の問題を解かせたりして浮遊を抑える努力をしていた。

浮遊生徒は制服の下に私服を着ていて、廊下に唾を平気で吐く。

話せばタバコの臭いがするが、現認しないと指導できないのが現状だ。

教育困難校ではない学校では、臭いで別室に連れて行き話を聞くが、学校によって指導のレベルが異なる。

そり込み、茶髪は当たり前、教師に対しても平気で反抗してくる。

早弁の代わりに、塀を乗り越え、外でお菓子を食べ、タバコを吸ってまた学校へ戻ってくる。

近所からの通報が入って、自転車で現場に行く。

空き時間などない。

パトロールで廊下を歩いていると、手洗い場でトイレットペーパーが燃えていたこともあった。

ただ彼らは学校が嫌いなのではない。

居場所が学校しかないのだ

むしろ学校が好きだが、勉強はしたくない。

人懐こい性格が多く、勉強以外の話には積極的に乗ってくる。

悪人正機説ではないが、本当は彼らこそ救わないといけないのかと考えることもあった。

もし黒染め強要が違憲だという判決が出たら

地毛証明なんてやり過ぎだと思うかもしれないが、私が彼らに「髪が茶色いね」と声をかけても、「もともとじゃ!」と返答されるのが日常だった。

もちろん彼らは明らかに染色や脱色を行っている髪色だ。

裁判所の判決文に、生徒本人による自発的な改善の見込みは極めて低く、家庭内での指導・改善に期待することも困難とあった。

これは生徒自身や家庭環境が、かなり厳しい状であるということが分かる。

例えばスピード違反で警察に止められた時、素直に過ちを認めて違反切符を切られる人がいる。

しかし、「実際はそんなにスピードは出ていなかった」「前方の車を追い抜くために一時的に加速した」「スピード違反は俺だけじゃない」など、あーいえばこういう大人がいることも事実である。

廊下に唾を吐き、トイレットペーパーを燃やした生徒も、今では20歳を超えているだろう。

黒染めを強要された彼女は、学校の指導に素直に従っていなかったのだろう。

従う気もないし、保護者も訴えてやるというスタンスなら、なおさら子どもはいうことを聞かない。

判決文の家庭の分析内容はそういうことだろう。

不登校になったということを前面押し出せば、逆転できると思ったのだろう。

リベラルであり、多様性を認めようという世間が後押しする。

多様性という以前に、校則や社会のルールを守れていない。

自分の好き勝手が多様性だと思っている。

裁判所の判断は慎重だった。

黒染め強要裁判で、違憲判決や学校が敗訴したとなると、どうなるか想像できるだろか。

教育困難校では、黒染め強要は違憲だと声高に叫び、染色した髪を「地毛が茶色だ」と主張する生徒がぞろぞろ出てくる。

委員会や校長は風見鶏である。

今度は教員の体罰ではなく、染色した髪を「地毛が茶色だ」と主張する生徒を野放しにする。

対応する現場の教員の負担がまた大きくなる。

体罰の時もそうだった。

「殴ってみろよ」と教師を挑発する生徒が出てきたのだ。

わざと教師を怒らせて手を出させようとする様子を携帯で撮影するものまで表れた。

落ち着いた学校に通われていた方には、想像しろといってもできないだろう。

まとめ

ネットに当該高校は、留学した外国人でも黒染めをさせるとの書き込みがあった。

吉村知事は、女子生徒が名簿から削除されたのは間違いと発言する。

また女子生徒がウソを言ってたともネットに書かれているのをも見た。

「黒染め強要」と一言で言っても、不確実であり、事実を争うこともたくさんある。

事実が明らかにされていないなかで、「黒染め強要」とメディアが報道すると、学校が悪いという印象を受けざるを得ない。

だからこそ、安易に「人権侵害だ」とするのは早計と書いたのだ。

私の見解としても正直難しい。

まず地毛が茶色であると学校に申告していた事実がウソであれば、前提から覆される。

名簿からの削除や母子家庭であることへの中傷の有無も齟齬がある。

ただ教育困難校であり、生徒本人や家庭環境から指導・改善の見込みが低いことは事実である。

多様性が認められる社会が理想であり、仮に留学した金髪の外国人留学生に黒染めを強要するようなことは、明らかに裁量を逸脱している。

公立学校に勤務し、教育困難校を経験した経験から、慎重を期した裁判所の判決は妥当とするのが私の結論だ。

多様性が認められ、どんな公立学校でも服装や頭髪が自由になることが理想ではあるが、なぜ法や裁判所があるかを、もう一度考える必要がある。

リベラルやポリコレの最先端であるアメリカでは、未だに差別がなくならず、身をまもるための銃による犠牲者が多く出ている現状を知ることも大切なのではないだろか。

とにかく教育現場で大変である。

トップが悪い意味で風見鶏だし、多様性の名の下に教員の負担が増えていることは確かである。

多様性が認められることは大いに結構であるが、現状を知らない人の声が次第に大きくなり、しわ寄せが現場の教員にくる。

現場が疲弊すれば、質の高い教育を提供できなくなり、最後に困るのは生徒であり子どもなのだ

風が吹けば桶屋が儲かるではないが、今回の大阪高裁の判決は妥当だと思う。

保護者は最高裁に上告するという。

結果は同じになると思うが、万が一逆転判決が出た場合、多様性を訴えるリベラルは大喜びだが、失うものも大きくなるだろう。

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この記事を書いた人

名前:タッド先生

関西在住のアラフォー男。

同志社大学卒業。

元公立中学校教師。

既婚、1児の父。

うつ病で退職を余儀なくされ、より良い生き方を模索しています。

約9年間の公立中学校勤務の経験から、子育ての悩み、成績の上げ方の工夫など教育全般について発信しています。

ご意見やご要望などあれば、コメントかメールでお気軽にお知らせください。

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