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【人間関係リセット癖】リセットの心理とされた側【リセットはしてもいい】

「人間関係リセット症候群」という言葉がトレンド入りした。

年末の大掃除のように、携帯の登録メモリから疎遠になった連絡先を削除する。

それは人間関係リセット症候群に入るのか!?

ネットで調べてみた。

突然、連絡先を変更したり、引っ越しをする人を指すらしい。

病気」ではなく、「人間が陥りがちな心理状態」だという。

もう少し詳しく調べてみると、チェックリストや原因と対策まである。

どちらかというと、良くない症候群のようだ。

しかし、どうも私は、「人間関係リセット症候群」という言葉に違和感を覚える。

昔の私だと、「まさに私のことだ」と、対策に必死になっていただろう。

うつ病歴20年の元公立中学校教員が、人間関係リセット症候群を、時代背景や自らの経験をもとに考察してみたい。

結論からいえば、仮に人間関係リセット症候群のチェックリストに当てはまっていても、何の問題もない。

対策も不要だ。

むしろ、リセットすることで傷口を広げずにすみ、大怪我にはならない。

では詳しく見ていこう。

2022年2月4日に、「された側」を追記した。デジタルとアナログな脳

デジタル化とSNSの普及で、人間関係リセット症候群が、いかにも現代人の心の闇のような書かれ方がされている。

リセットされた側はどうすればいいの?

逃げ癖をやめなければいけない。

との意見もあった。

まず「人間関係」といっても、どのくらいの深さを目安にしているのだろうか。

地元や学校、職場で顔を知っている関係から、SNSでフォローしているだけの関係までさまざまある。

とりあえずLINEは交換したものの、連絡は取っていないという意見もあった。

これはまさにデジタル化であり、気軽に連絡先が交換できるようになったからだ。

デジタルでは保存容量が決まっているので、いっぱいになれば削除しなければならない。

一方、アナログな脳の容量は無限だが、付き合いがなくなれば自然と忘れていく。

デジタルでは、脳と違ってデータは色あせない。

だから優先順位やルールを決めて削除する。

これが人間関係リセット症候群なら、昔から脳は自然とリセットしていて、デジタル化したからこそ問題として明るみに出てきたことになる。

昔から人間関係リセット症候群はあったのだ。

リセットといわずに、忘れたといっただけ。LINEがなかった時代の合コン私が初めて携帯を持ったのは大学生の時だ。

20年以上前のことだ。

単音の着信音で、通話機能がメインだった。

LINEはなく、連絡先は電話番号かメールアドレスだ。

合コンをしても連絡先は簡単には教えてくれない。

そこには信用があり、心を許した相手に教えるものだった。

電話番号をゲットすれば、「ワンコするわ」といって、ワンコールして相手に自分の電話番号を伝えたものだ。

しかし、かけても出てくれないことや着信拒否も可能であり、当時でもリセットはあったのだ。

既読機能なんて当然ないし、センター問い合わせなるものをして、メールが来ていないかをドキドキ待ったものだ。

連絡先を交換できたとしても、連絡がない時はない。

LINEではなく、電話番号など連絡先が今より重みのある時でも、ある意味のリセットはあった。近くの親戚よりネットの他人

人間関係リセット症候群チェックリストに、「転職をよくする」という項目があった。

終身雇用が消滅し、非正規雇用が増えた現在、生涯同じ企業で働くことは少なくなった。

昔から「三日坊主」といわれるように、現代人に限らず、昔から転職をくり返す人はいた。

その定義でいえばフーテンの寅さんは、人間関係リセット症候群である。

また世間や共同体の崩壊がある。

一里四方、猫の子一匹生まれてもわかる

現在でも田舎に行けば世間は狭く、ある程度個人情報が共有される。

認知症の老人が徘徊すれば、あれは○○のじいさんだと分かった。

プライバシーはなかったが、困った時には助け合いがあった。

現在では助け合いがなくなり、個人情報の共有という負の側面だけが残った。

最低限のプライバシーは守られ、助け合いができる場がSNSになった。

「遠くの親戚より近くの他人」ではなく、「近くの親戚よりネットの他人」といえる。ネット上の関係だから簡単にリセットできる!?

私がSNSを始めたのは、大学生の時でmixiだった。ネット社会が拡大して、大切だと思ったことは、顔を合わすことだ。

オフ会があり、リアルな顔が見れた。

リアルで知り合った人とSNSでつながるか、SNSで知り合った人とリアルで会う。

だからSNS上だけでは信用できない、だからリセットしてしまうという考えは、少し安直だ。

私は、うつ病が再発して退職した。

もちろん職場が大きなストレッサーだった。

二度と連絡したくないし、顔も見たくない。

それでも、連絡を取り合っている人はいる。

リアルであろうが、SNS上であろうが、心がつながる人はつながるし、逆にリアルでも心がつながらない人もいる。友達100人できるかなはウソ!

電車に乗っている時、同じ車両に乗り合わせた人たちと、「みんなと仲良くなろう、友だちを作ろう」と言われるとどうだろうか。

「そりゃ無理だよ」

これは日本の学校の学区制の例えである。

同じ年に生まれた、同じ地域の人と同じクラスや学年になり、仲良くしましょうというのである。

同窓会や成人式は、まさにその延長線上にある。

部活動や塾、地域のスポーツサークルなど、共通のものがある方が心もつながる。

だから、「複数のコミュニティに属した方が精神的な安定につながる」というのは、人間関係リセットを前提とした話なのだ。

リセットしたくなくても、クラス替えや進学などで、良くも悪くも強制的にリセットされる。

リセットは、楽しかったクラスなら残念だが、嫌だったクラスではラッキーなのだ。

いくらリセットされても、つながる人とはつながる。

時たま乗り合わせた電車の車両なのだから、リセットもクソもない。

1本遅い電車に乗っても目的地には到着する。黒歴史は本当の自分ではない!?

人間関係リセット症候群は、昔からあったことで、決して現代人の心の闇ではなく、SNSの登場で明るみに出ただけのことだ。

むしろ人間関係をリセットできた方が傷口が広がらないのではないかと思う。

大学デビュー」という言葉がある。

大学生になり、新しいコミュニティに属したことを機に、おしゃれをしたり性格を変えてみたりする。

ある意味リセットだ。

ところが同窓会で、過去を知っている友人から昔の黒歴史を語られる。

しかし、「黒歴史の自分」も「大学デビューした自分」も同じ自分で、人は常に変化し続けるものだ。

リセットとは変化ともいえる。

変化し続けても、過去の自分と現在の自分は別人ではない。

その変化を、自分自身も周りの人も受け入れていく必要があるのではないか。まとめ

人は、運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命に出会う。

フランスの詩人ラ・フォンテーヌの格言である。

人生というゲームの終了は「死」でありリセットは「変化」である。

私だって、うつ病なんてなりたくなかった。

症状がひどい時は辛く苦しい。

だから退職せざるを得なかった。

安定した仕事を失ったが、あれ以上続けていれば、人生というゲームが終了していた可能性もある。

そう考えれば、リセットもありである。

された側の気持ち!?

職場には迷惑をかけたが、大きなストレスを受けて病になったことは確かである。

別に私がいなくても回っている。

だからお互いさまである。

逃げ癖はやめなければいけない!?

私は逃げたのではない。

我慢したからこそ、退職に追い込まれるほど症状が悪化した。

逃げてリセットした方が傷口は浅い。

リセットである逃げと我慢は表裏一体なのだ。

逃げてばかりでは成長しないが、逃げなければ傷口は大きくなる。

逃げても逃げなくても、また新しい運命と出会うという。

いや、逃げても終わりではないということだ。

危険を感じた時の心理状態は、「逃げる」か「戦う」かのどちらかだという。

だから心臓は、どちらかに備えて多くの血液を全身に送り届けようとする。

だからドキドキする。

刃物を使って無差別に人を襲う事件が増えている。

ある実戦経験豊富な現役特殊部隊の外国人が、刃物を持った人に出会った時の対処法を語っていた。

「全力で逃げろ!」

筋骨隆々の現役特殊部隊でさえ、逃げるのだという。

ん!?リセット??

学校も企業も、時たま乗り合わせた電車である。

「石の上にも三年」!?

そんなことは人が勝手に決めた道徳的規範だ。

SNSであろうがリアルであろうが、いくらリセットしてもつながる人はつながる。

逆をいえば、リアルに何年一緒にいても心がつながらない人もいる。

人生というゲームが終了しない程度にリセットしてはどうか。

私もマリオカートで負けそうになった時にリセットボタンを押した記憶がある。

あれから30年、私の人生というゲームは終わってはいない。追記:「された側」を深堀りしたうつ病で強制退職した時、された側はお互い様だと書いた。

ところが最近、疎遠になった友人を思い出した。

去年までは親しかったが、急に態度が変わった。

連絡しても返信が遅く、ついにこちらから送らないと返事がなくなった。

あれこれ考えたが、原因はわからない。

「された側」を考えざるを得なくなった。

待てど暮らせど連絡はなくなった。

学校や職場の人間関係であれば、ややこしいが、単なる友人だ。

逆にそれだけ仲が良かっただけに、嫌な気分にもなった。

でも彼にも彼なりに理由があるのだろう。

人生のステージが変化する時、人間関係も大きく変わるという。

当然、人間関係を含めた周りの環境が変化しないと、良くも悪くも変わらない。

「仕方がない」

またご縁があれば、再会するのではないかと思う。

相手の立場に立てば、「リセットした」とは思っていないかもしれない。

ただ現在はそっとしておいてくれと思っているだけかもしれない。

連絡がないことで、リセットされたやあれこれ考えすぎる方がしんどい。

その友人と疎遠になることで、時間が生まれ、新しい出会いがあるかもしれない。

新しい出会いのなかでチャンスが生まれ、新たなことに挑戦する。

進学、進級、就職、異動、クラス替え、引っ越し、死別など意図しない人間関係のリセットがある。

疎遠になったと感じるようなリセットされた場合に限らず、意図しないリセットは多い。

あなたが連絡がマメでないために、相手はリセットされたと思っているかもしれない。

改めてリセットされたと考えなくても、自然とリセットされているということだ。

「出会いがあれば別れがある」というように、人の新陳代謝である。

リセットされたから、現在の出会いがあると思えるように。

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この記事を書いた人

名前:タッド先生

関西在住のアラフォー男。

同志社大学卒業。

元公立中学校教師。

既婚、1児の父。

うつ病で退職を余儀なくされ、より良い生き方を模索しています。

約9年間の公立中学校勤務の経験から、子育ての悩み、成績の上げ方の工夫など教育全般について発信しています。

ご意見やご要望などあれば、コメントかメールでお気軽にお知らせください。

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