ガーシー、キムタク、リトグリ、さかなクンなど、ネットを見ればさまざまなあだ名が出てきます。
日本人ほどあだ名が好きな民族はいないのではないでしょうか。
「あだ名や呼び捨てを禁止して、さん付けさせる校則」を導入する小学校が増えているそうです。
なぜ急にあだ名や呼び捨てが禁止になったのでしょうか。
ちょうど小学校に通う息子がいるので現状を聞いてみました。
あだ名や呼び捨ての禁止を校則で定めることに私は反対です。
詳細な理由は後述しますが、逆に学校側の指導が困難になる可能性があるからです。
なぜ小学校でのみ禁止されるのでしょう。
小学校でこそ向き合うことだと思います。
これでは転ばぬ先の杖になってしまわないか心配です。
なぜあだ名や呼び捨てが禁止になったの!?
簡単にいうと、身体的な特徴を揶揄したあだ名をやめさせるためです。
文部科学省の問題行動・不登校調査によると、全国の小学校でのいじめ認知件数は増加傾向だ。2020年度は42万897件の報告があり、このうち約6割が「冷やかしやからかいなど」だった。
読売新聞
いじめの認知件数は増加傾向にあります。
しかし、いじめの実質数は以前から変化していないと私は考えます。
いじめの定義が変更されて、今までいじめと認知されてこなかったことが認知され始めただけなのです。
現在のいじめの定義をご存じでしょうか。
「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
文部科学省
定義でいえば、「精神的な苦痛」を感じていれば、もういじめなのです。
でも、みなさんも学校で大なり小なり嫌なことはありましたよね。
同級生からだけでなく、先生からも「嫌だな」ということを言われた経験はあるのではないでしょうか。
この定義でいえば、全部いじめになってしまいますね。
執拗なからかいが続き、精神的苦痛を受けて不登校にいたる場合もあります。
なかには自らの命を絶つまでにいたった児童生徒がいると思うと、少しでも痛ましい事件が少なくなることを願うばかりです。
ただ、だからといって「一律に」あだ名を禁止するという文科省のやり方には反対です。
現在の学校教育は管理教育的な面が多くあります。
たとえば「他のクラスには入ってはいけない」という校則があります。
これはいざ物がなくなった時にトラブルを大きくさせないためです。
しかし社会に出れば、このような校則に守られることはありません。
外国なら命を落とす可能性があります。
グローバル化というなら、外国に行ったとしても、自分の持ち物や命を守る術を身につけることが必要ではないでしょうか。
いつから
もう始まっています。
すべての小学校ではないですが、市内の大半の小学校が導入しているという自治体もあります。
校則なので、あくまでその学校においてのみ適用されます。
息子に現状を聞いてみた
小学校に通う息子に現状を聞いてみました。
特に保護者宛ての連絡はなく、授業中のみ名字で○○さんと呼ばれています。
休み時間は、先生から下の名前で呼び捨てで呼ばれるとのこと。
集会やクラスでの「あだ名・呼び捨て」の禁止の指導はなかったと言っていました。
想像していたよりゆるい感じで、授業中は「さん付け」を徹底しているという印象を受けました。
「一律に」という問題
校則で決まれば「一律に」という文科省のやり方が大嫌いです。
ただ管理教育では、非常に効率的で便利なのです。
では「自主性」や「個性」「生きる力」ってどのようにして育むのでしょうね。
「一律」って「自主性」や「個性」と真逆の位置にありますから。
いじめ認知の約6割が「冷やかしやからかい」であり、あだ名や呼び捨てを禁止し、さん付けすればいじめは減るのでしょうか。
2015年の日本の交通事故での死者数は4117人でした。
1日平均で11.3人、2時間8分に1人の割合になります。
死者だけでこの人数ですから、軽微な事故を含めるとものすごい数になります。
では明日から運転するのはやめますか。
子どもを学校に行かせるのはやめますか。
「一律に」運転や通学をやめるのではなく、見通しの悪い道路は徐行したり、歩行者の信号が青でも突っ込んでくる車がないかを確認することが大切です。
運転手も歩行者も信号が青だから大丈夫という思い込みを捨て、体調が悪い日は運転を控えるなどの柔軟性が求められます。
「一律に」禁止すると、考えないで楽なように見えますが思考停止していては、もっと重大な事故に巻き込まれかねません。
反対する2つの理由
思考停止
「一律に」禁止することで思考停止になり、柔軟性が失われてしまうことです。
身体的な特徴を揶揄したあだ名をやめさせることが目的です。
例えばやまだこうた(仮名)くんなら、「こうちゃん」など、あだ名は親しい間柄だからこそ呼び合う愛称でもあります。
また中学校でやんちゃな生徒を指導する時、「そうだろう、こうた」など人間関係がある場合、あえて下の名前で呼ぶことで話が入りやすくなることもあります。
「一律に」禁止されると、息苦しくて、うまくいくこともうまくいかなくなる可能性があるのです。
問題は消えず、深く潜り込んでしまう
教員の指導が困難になる可能性があるからです。
表面上であだ名や呼び捨てが禁止されても、内心で思ったことは消すことができません。
子どもは素直です。
それが子どもなのです。
カツラをかぶった先生は、「かぶりもの」と生徒の間で呼ばれていました。
もちろん本人を目の前にしては言いませんが。
いじめの定義にあった「なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」というのはインターネット上も含むのです。
表面から消えたように見えた身体的な特徴を揶揄したあだ名は、どんどん深い闇へと追いやられているのです。
小学校の高学年にもなれば携帯電話を持つ児童もいます。
グループLINEで悪口を言われたとなれば、学校側の指導は大変です。
手に負えないどころか、学校教育外の問題で指導できないといわれるかもしれません。
まだ身体的な特徴を揶揄されたと報告を受けて、クラスで指導した方が早く解決します。
また「そんなつもりじゃなかったのに、嫌な思いをさせちゃったかな」なんて考えることも大切です。
たまりかねて「あんな言い方をされると、私はものすごく嫌だよ」なんて感情をぶつけて、言い合うくらいの経験はあって損はないです。
「一律に」そのような環境を奪ってしまうあだ名や呼び捨ての禁止はいかがなものかと思います。
まとめ
すでにあだ名や呼び捨てを禁止にする校則を導入している小学校が増えています。
いじめ認知件数が増え、悲惨な事件が報道されるたび子を持つ親として胸が痛みます。
しかし、「一律に」あだ名や呼び捨てを禁止して、さん付けすることがいじめを減少させ、児童生徒のためになるでしょうか。
表面的な解決はします。
しかし、教員の目の届かない時間や場所の方が多いことは事実です。
インターネットが発達し、SNSでのやりとりが現実かそれ以上になった現在、すべてを管理することは不可能です。
ただ携帯やパソコンの前には生身の人がいることを忘れてはいけません。
「一律に」禁止が起こす思考停止状態では、人の存在を忘れさせることもあるのではないでしょうか。
「一律に」禁止は、管理教育として楽なのです。
しかし、それで失う代償はもっと大きい気がします。
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