『女帝 小池百合子』石井妙子(著)を読了した。
タイトルにも書いたが、単なる告発本ではない。
フィクションでもなく、むしろ小池氏本人が読んで、進むべき道を誤っていることに気づいて欲しい。
筆者は、彼女を「イカロスの翼」に例えた。
権力という階段を駆け上っていくが、翼が蝋(ろう)でできていることに気づいていない。
太陽に近づくほど、蝋の翼が溶けて落ちてしまうのではないかと。
では、あらすじと自らの経験を踏まえた考察をしたい。
小池氏は努力の方法、そもそもの「動機」を間違えているのではないかと私は思った。
同時に、私の身のまわりにいる人物とも重なる部分もあり、食い入るように読むことができた。
関西に住んでいても、毎日のように東京都のニュースが目に入る。
2021年8月25日、「東京都 新型コロナ 11人死亡 4228人感染確認 重症277人で最多」という見出しが躍っている。
8月8日、オリンピックが終了し、24日からはパラリンピックが始まった。
無観客で行われる一方、学校連携観戦が始まり、都内の幼稚園児や小・中学生ら公立学校だけで約2万の参加を予定しているという。
「多様性認め合える心を育んで」と丸川五輪相。
確かに障がい者が、過去を乗り越え、努力する姿は、予測不可能な困難に立ち向かう勇気を与えてくれる。
それに1964年の東京オリンピック以来、57年ぶりの日本での開催である。
「ぜひこの機会に」というのは、子どもたちだけでなく、名誉や利権がからむ政治家にとっても同じことがいえるだろう。
現状のコロナ禍を考慮すると、学校単位で観戦しなくても、高画質で視聴できるテレビで十分ではないだろうか。
お盆初日の8月13日、定例記者会見で、小池知事はこう呼びかけた。
「今、最大級、災害級の危機を迎えている」としてうえで、「(お盆休みの帰省や旅行については)延期や中止などを『考えてください』ではなく、今年はもうあきらめていただきたい」
オリンピックやパラリンピックは開催するのに、待ちに待った旅行や帰省はするなと言うのかと大多数の都民が思ったはずだ。
なるべく感染者を減らし、24日から始まるパラリンピックを無事に開催させたいという意図が見え隠れする。
私は、どうも小池氏のことが好きになれない、いや、ものすごく嫌いだ。
大阪の吉村知事や松井市長も叩かれはするが、信念を持ってこうだと政策を打ち出せば、反対派は必ずいる。
少なくとも府民、市民のことを考えたうえで、痛みを伴う政策を出しているように見える。
一体、小池都知事は何を考えているんだ、都民でもないのに隠せない苛立ち。
『女帝 小池百合子』を読んで、その疑問が腑に落ちた気がした。
Amazonのレビューには、2021年7月4日に行われた東京都知事選への印象操作である、小池氏へのいじめだという低評価も見られる。
しかし、良い事実だけでなく、公表されていない、されたくない事実を知ってこそ、より正しい判断ができるのではないだろうか。
本書を読むと、ある意味小池氏は、悲劇の女帝とも見ることができる。
そのうえで、改めて小池氏に1票を投じることもできる。
本書は、単なる告発本ではなく、小池氏の生育歴や養育環境をふまえて、どのように現在に至ったのかを考察している。
また最後に著者から彼女へのメッセージがある。
「嫌がらせ」ではなく「愛」だ。
彼女はそのメッセージを受け取ることができるのだろうか。
『女帝 小池百合子』あらすじ
ネタバレは嫌だ、既に読まれたという方、あらすじは長いので「考察」まで読み飛ばしても結構です。
芦屋の令嬢
小池百合子ほど、自分の生い立ち、経験、経歴を自ら語り売り物としてきた政治家もめずらしい。
小さな頃から右頬にアザを持つ。
大ぼら吹きの父を持ち、兵庫県芦屋市に育つ。
芦屋市といってもお金持ちばかりではなく、格差を目の当たりにする。
従姉妹である咲子との比較もあり、中東のエジプトのカイロ・アメリカン大学に編入。
さらに国立カイロ大学にコネを使って編入する。
アラビア語には口語と文語があり、文語はアラビア語を母国とする人でも苦しむという。
エジプトのカイロで小池氏と同居していたH氏によると、小池氏は勉強が嫌いで、試験の時期にもアルジェリア旅行に行っていたという。
「テストではカンニングをしてもアラビア文字が書けないので、引き写すことさえできなかった」
と小池氏自身の著書で明かしている。
それでも首席で卒業。
またエジプト滞在中に2度も飛行機事故をまぬがれたというエピソードもある。
虚飾の階段
借金取りに追われ、関西に住めなくなった小池氏の両親を、「浪速冷凍機工業」の社長、朝堂院氏が全額出資して、エジプトで日本料理屋「なにわ」を経営させる。
ところが、小池氏は文芸春秋にこのように寄稿している。
「専業主婦から料理屋の女将への一大変身である。それも海外での出店となればプロでも二の足を踏む。(中略)大阪出身ということから『なにわ』と名付けた店も今年、11周年を迎えた」
アラビア語がペラペラ、中東通であることを売りに、アシスタントから看板番組のメインキャスターとインターネットがなく、テレビが全盛期の時代にメディアで活躍する。
政界のチアリーダー
キャスターも年齢の限界を感じたのか、政界進出をはかる。
1985年に男女雇用機会均等法が成立し、バブル期へと突入する。好景気に支えられ都会的な自立した高学歴女性がマスコミ界を中心に、もてはやされるようになる。
時代も大きく彼女に味方した。
また身近で応援してくれた人がいるからこそ、彼女は成功できた。
しかし、政界進出も含めて、小池氏は何の恩義も感じないかのように、自らの進路を決めていく。
またも時代は彼女に味方する。
竹下総理のリクルート事件、後任の宇野総理は金ではなく女性問題で自民党の支持率は大きく低下。
彼女は日本新党から出馬した。
ミニスカートとハイヒールで演説した。
彼女が優先したのは、「演説内容」ではなく、「自分のビジュアルイメージ」だった。
何を言うかではなく、何を着るか、どんな髪型にするか、それが人の心を左右するという考えは、小池氏の母の教えであり、テレビ業界で武村健一氏から学んだことだ。
SNSが無い時代に、自分を売り込む情報発信の方法は限られていた。
そこでどのようにすればテレビというメディアを最大限に生かせるかを彼女は知っていた。
地元である芦屋市がある兵庫2区からの出馬。
父勇二郎が負けた選挙区でもある。
それ以上に、土井たか子との「女の一騎打ち」という話題が魅力だった。
土井たか子氏には得票数で及ばなかったが、2位で当選。
父の果たせなかった政界進出を果たす。
ところが初当選でお世話になった日本新党の細川護熙氏に反旗をひるがえし、新進党の小沢一郎氏へすり寄る。
2回目の選挙は、初めての小選挙区比例代表制だった。
彼女は地元である芦屋市を含む兵庫2区を捨て、兵庫6区から鞍替え出馬したのだ。
小選挙区制では、各選挙区から1名しか当選しない。
前回の選挙では土井氏に惨敗した。
「ここは私が生まれ育った故郷。出馬するならここしか考えられません」と語った前回の選挙、しかし彼女はあっさりと地元を捨てた。
さらに保守党へ移り、小沢氏とも簡単に決別してしまう。
大臣の椅子
小泉純一郎政権下、環境大臣に任命される。
国会議員だけでなく、国務大臣にまで登り詰めた。
「水俣病集団訴訟」や「アスベスト問題」が彼女を待ち構えていた。
ところが、問題に真摯に向き合わずに、力を入れたのがクールビズ。
トヨタ自動車会長で経団連会長の奥田碩氏やオリックス会長の宮内義彦氏らに「ファッションモデルになってください」と自ら連絡をいれ、税金を使ったファッションショーを開いた。
彼女は百合の柄の浴衣を着て、「打ち水」のパフォーマンス、自身がデザインした風呂敷の展覧会を主催した。
本当に使わなければいけないところにお金はかけられず、パフォーマンスに使われた。
郵政民営化関連法案で、内閣不信任案が出されると小泉内閣は解散した。
反対票を投じた自民党議員は公認せず、対立候補を立てた。
「私、選挙区を替えます。小林興起さんの対立候補として東京10区に立ちます」
地元である芦屋市、彼女が最大限に利用した芦屋市だけでなく、兵庫県にも未練はなかった。
もともと兵庫6区には、地元宝塚市出身で、市議や県議を務めた自民党の阪上善秀氏がいた。
小沢氏への根回しのおかげか、阪上氏を差し置いて兵庫6区の公認を得た。
自民党は保守党と連立を組んでいたので、両党で1名しか公認を与えることができない。
阪上氏は比例代表へ回され、次回の選挙では阪上氏を小選挙区に小池氏を比例にするというコスタリカ方式が取られることとなっていた。
次は比例に回る番、浮動票頼みでは都心部では勝てない、自ら刺客となることが東京進出の千載一遇のチャンスだった。
安倍政権下で失言が相次ぎ、久間防衛大臣が辞任する。
人気が低迷した時は「女」の原則で、女性初の防衛大臣が誕生する。
ついに彼女は選挙区を東京へ移し、環境大臣についで防衛大臣に就いた。
八月八日、アーリントン国立墓地を表敬訪問。ここを訪問する各国の要人は記念館に収められるギフトを事前に贈る慣習があり、小池が事前に贈った「ギフト」もすでに陳列されていた。自らアラビア語で「平和」を意味する文字を絵付けした一品である。日本国ではなく、あくまでも自分を顕示したかったのであろう。
ところが小池氏は55日間で防衛大臣を辞任する。
安倍総理も突然の体調不良から辞意を表明。
リーマンショックから始まった世界金融危機。
日経平均が7000円台まで下落するなか、自民党は選挙で大敗。
彼女も初の落選を経験した。
「自民党が政権を奪回するまで、願掛けのため髪を切らない」
いわゆる「臥薪嘗胆ヘア」の誕生である。
連勝中はパンツを履き替えないというプロ野球の監督がいた。
「願掛け」であり、「人事を尽くして天命を待つ」というが、彼女の場合はやることをやらないで神頼みだけをしている。
それも下着ではなく、必ず大衆が見えるところでだ。
復讐
同年には恵美子も体調を崩して入院した。余命一ヶ月と知らされて、小池は自宅に母を引き取った。九月五日に退院して、十六日に自宅で亡くなっている。
父に続いて、小池は母の死も、すかざす「物語」にした。大手出版社の社長に電話をかけて企画を売り込み、翌年には『自宅で親を看取る』を出版する。以後、選挙の度に、「私は自宅で母を介護し看取った。その経験を政治に活かす」と発言するようになる。だが、自宅介護の期間は十一日間である。
安倍政権で飼い殺し状態の彼女は、次のチャンスを狙っていた。
防衛大臣の経験、クールビズの発明、母を介護し看取る経験を前面に押し出して、東京都の知事に立候補したのだ。
防衛大臣の就任期間は55日、母を自宅介護したのは11日間である。
初めて選挙に出た時、「私はミニスカートとハイヒールで戦う。タスキをしたり、ズボンや平べったい靴を履くようなダサイ格好はしない」「オバタリアンと一緒にされたくない」と述べたこと。「チアリーダー」を自認し、短いスカートをはき、若さと美しさを売り物としてきたことを。自身が若さを失い男性を惹きつけられなくなって、路線を巧みに切り替えたのである。六十代半ばとなった彼女は、自ら進んで「オバサン」を演じた。緑のハチマキを巻き、男にいじめられ、蔑まれる女性を演じ、「オバサン」を味方につけたのだった。
「大年増の厚化粧がいるんだよ」という元知事石原慎太郎氏の発言を見逃さない。
「実は私…、この右頬に生まれた時から、アザがあるんです」、アザを最大限に利用し、悲劇のヒロインを演じることで都知事となった。
都民ファーストの会を立ち上げ、「7つのゼロ」を公約に掲げた。
しかし、彼女にとって政策は重要ではない。
東京都の知事になるにあたり、都民を最優先にするのは当たり前のことである。
それがわざわざ政党名になる。
公立学校でも、なにかあるごとに「生徒のため」だと公言する校長がいる。
本当はすべて自分のため、隠せない気持ちが外化して、形となって表れるのだ。
イカロスの翼
「ジャンヌ・ダルクになる」「崖から飛び降りる」という発言がたびたび彼女の口から出る。
いちいち覚悟を口にするのではなく、政策など行動で示してくれればいい。
しかし、政策も信念も心すらない。
唯一できることはパフォーマンス。
当然、豊洲市場移転問題も二転三転することになる。
「築地は守る、豊洲を活かす」と移転賛成派と反対派の双方の票を集めて、彼女は都議選を圧勝する。
ところが、2019年1月、築地市場の跡地を「国際会議場や展示場にする」と発表したのだ。
「築地は守る」という発言は一体…。
さらに彼女は、新たに国政新党である「希望の党」を立ち上げ、総理の座を狙おうとする。
彼女はただ、上を目指しているだけで、理由は後からつけられる。都知事になったら、次は総理に。都知事として、政治家として何かをなしたいわけではない。政治家として、より上の地位に就きたいだけなのだ。
自民党に帰順するにあたり、築地を二階幹事長の推進するIRの候補地に差し出したのではという噂もある。
彼女の知人は「イカロスの翼」に例えた。
顔にアザがあって、親はあんなで。普通の就職や結婚は出来ないと、小さな頃から思ってたんだろう。あいつは、はったりで、それでもひとりで生き抜いてきたんだ。褒め上げる気はないが、貶める気にもなれない。あれは虚言癖というより、自己防衛なんだよ。あいつが手にしたのはイカロスの翼だ。こんなに飛べるとは、あいつだって思っていなかっただろう。太陽に向かえば翼は溶けて墜落する。その日まで、あいつは飛び続ける気なんだ。
2021年7月4日 東京都知事選挙
小池氏は公示直前に過労で入院した。
過労での入院さえ、同情票を集めるためにパフォーマンスにも見えた。
選挙最終日には応援演説にも駆けつけたが、都民ファーストの会は、改選前の45議席から31議席に減らした結果となった。
考察
パフォーマンスのツケを払うのは都民
大阪から妻が独り暮らしをしていた神戸市東灘区へは、尼崎市、西宮市、芦屋市を通って、神戸市の東端にある東灘区へ入る。
六甲山の丘陵には六麓荘で有名な高級住宅街がある。
北から阪急、JR、阪神電車が並行して走っている。
同じ芦屋といっても阪急と阪神の周辺ではまったく違う。
その「芦屋」というブランドを最大限利用したのが小池氏である。
大ぼら吹きで、権力者に取り入り、政界進出をすることに失敗した父、勇二郎。
小さな頃から顔にアザを持ち、ことあるごとに従姉妹の咲子と比較された。
そのなかで力強く、自立して生きていくと幼心に覚悟せざるをえない家庭環境には同情の余地がある。
しかし、両親から真の愛情を受けることができなかった彼女は、努力のやり方や方向を見誤ることになる。
「行動は背後にある動機となった考え方を強化する」
臨床心理学者ジョージ・ウェインバーグ
劣等感から人を見返すための努力は、かえって劣等感を強めることになる。
そして「栄光は麻薬のようなものである」と加藤諦三氏は講演のなかで述べている。
劣等感から努力して勝ち得た栄光は、手にした瞬間にまた新たな栄光が欲しくなる。
「彼女には平凡な人生を歩めるような環境が与えられていなかった」と著者はいう。
もし、そんな環境下で唯一平凡な人生を歩めるとしたら、それは素直に現実を受け入れることだったと思う。
顔にはアザがある。
家庭環境にも恵まれなかった。
その現実と対峙し、受け入れることで、もう少し気楽に生きることができたのではないかと考える。
しかし、現実的には受け入れがたい。
その現実から目を背けた結果が、日本人女性初のカイロ大学卒業、それも首席である。
なぜここまで彼女の学歴詐称問題が大きくなるのかが不思議であった。
政治家としての職務をまっとうしていれば、そもそもこんな大事にはならない。
新規感染者数が急増する現実を見て、「最大級、災害級の危機であり、帰省や旅行はあきらめて」と言っておきながら、パラリンピックを開催し、学校連携観戦まで行う。
「それならオリンピックもあきらめて」とYahoo!ニュースのコメントを見つけた。
まさにその通りである!
都民には痛みを求めるが、自分たちは拒む。
その矛盾した言動が、学歴詐称問題にさらに火をつける。
身から出た錆である。
誰も彼女が本当に首席なのか、カイロ大学を卒業しているかに関心はない。
彼女の言動は都知事としての言動であり、災害級の危機に子どもたちを送り出し、感染のリスク、最悪、生命の危険さえある。
最後の最後にツケを払うのは都民である。
都民のことを最優先に考えた政策を打ち出していれば、学歴詐称問題など出てこないのだ。
しかし、オリンピックという華やかな舞台は、パフォーマンスこそすべてという彼女にとって、滅多にない機会だというのは言うまでもない。
虚言癖ではなく、自己防衛の心理
エジプトに出店した日本料理屋「なにわ」
浪速冷凍機工業の社長、朝堂院氏の全額出資なので、社名から「なにわ」と名付けた。
しかし、彼女の口を通すと、大阪出身だから「なにわ」となった。
「なにわ」という言葉は兵庫県を指さない、また出資者である朝堂院氏の名前が出てこない。
著者が当時、彼女の同居人であるH氏が残した日記や手紙、そしてカイロ大学の日本人卒業生へのインタビューを通して、学歴詐称問題に迫る。
さらに小池氏のアラビア語の語学力など、あるゆる角度からアプローチした結果、首席どころかカイロ大学を卒業すらしていないということが分かったのだ。
では彼女は平気でウソを言っているのか。
いや違う。
彼女は本当にそう思って話している。
カイロ大学を卒業した、それも首席で。
母も専業主婦から、異国エジプトで日本料理屋を開いた。
そんな中東に私は縁があるんです。
いや、それが理想で、そうあって欲しいという願望が現実をゆがめてしまった。
これも「外化」の心理といえるだろう。
こうあって欲しい理想がある。
しかし、現実は勉強が嫌いで、カンニングでアラビア語を引き写すことすらできないのが現実である。
彼女の中にある理想像を外化した結果、彼女の中でカイロ大学を首席で卒業させてしまったのである。
「あれは虚言癖というより、自己防衛なんだよ」とかつての同居人H氏は言う。
虚言ではない、そうでなければ小池氏自身が困るのだ。
その結果、あたかも平気でウソを言っているように見えるのだ。
本書には「神経症」という言葉は出てこないが、神経症である私の祖父にも同じようなことがあった。
私は大学を卒業して、「騎手になるため」にオーストラリアへ留学した。
祖父は留学には反対だった。
大学院へ行って欲しかったからである。
孫がやりたいことと祖父の願望が違う。
「本人がやりたいことをやればいい」と素直に認めて納得することができない。
祖父の心に葛藤がある。
そしてこう私に言った。
「昔、馬を世話する人は馬丁(ばてい)といい、身分が低い人がする仕事だった」
まぎれもない事実である。
私は祖父の反対を押し切って留学した。
すると、祖父は、孫がオーストラリアに「語学を学ぶため」に留学していると知り合いに話していた。
「馬」や「競馬」という単語は出てこない。
まさに祖父の理想を外化した結果であろう。
小池氏は自分の理想を外化して、自身を語り、都民を見ている。
理想という色眼鏡を通すことで現実がゆがんで見えてしまう。
そうすることで、彼女自身を守っているのである。
「心」がない根なし草
「勝負は時の運」といわれるように、実力だけでなく、時代の流れに乗らなければチャンスをものにできない。
まさに時代の流れ、時の運を味方にしたのが小池氏だった。
アシスタントから看板番組のキャスター、政界進出と千載一遇のチャンスをものの見事につかみ取っている。
チャンスを狙って権力者にすり寄る姿勢は、父である勇二郎ゆずりだが、確実に仕留める力量は彼女にはあった。
しかし、そこに「心」がない。
それぞれの段階でお世話になった人がいる。
恩義を感じるどころか、お世話になった人を利用し、今度は敵と見なして攻撃する。
周りの人は、彼女にとって権力の階段を登るための手段に過ぎないのだ。
著者は、「根なし草」と表現している。
一緒にいて力を貸してくれる人、そして現実と心が触れていない。
だから「形」「パフォーマンス」が大切なる。
想いや信念が、パフォーマンスとして表れるのは素晴らしい。
しかし、彼女の場合はパフォーマンスしかない。
まるで空っぽの箱のようだ。
「演説内容ではなく、自分のビジュアルイメージ」
これですべての説明がつくのではだろうか。
「ミニスカートにハイヒール」に始まり、「臥薪嘗胆ヘア」、「クールビズ」、「7つのゼロ」、「5つの小」など。
SNSがない時代に、テレビというメディアを最大限に活用する術を、彼女は持っていた。
テレビタレントであれば、そこで求められる虚像を演じていればいい。
テレビタレントの不倫を叩く人がいるが、当人たちの問題であり、スポンサーでもない限り実害はない。
しかし、政治家などの為政者となれば、判断一つが国民や組織に実害が及ぶ。
彼女は都民を無視している。
いや、無視しているのではなく、本当に見えていないのだ。
かつての彼女の知人は、「イカロスの翼」と表現した。
気持ち良く飛んでいる翼が、まさか蝋(ろう)であることに気づいていないように。
告発ではなく、小池氏に気づいて欲しい本当の愛
筆者は最後にこのように締めくくっている。
彼女に会う機会があったなら、私は何を聞くだろう。
崖から飛び降りたことを後悔しているか、それに見合うだけの人生は手に入れられたか、自分の人生を歩んでいるという実感はあるのか、あなたは何者になったのか。そして、太陽はあなたに眩しすぎなかったか、と聞くだろう。
本書が単なる告発や都知事選への印象操作ではないことが分かる。
小池氏を心配しているのだ。
そして彼女に気づかせようとしている。
背中の翼は蝋(ろう)でできている。
蝋でできた翼は太陽の熱で溶けてしまう。
高ければ高いほど、太陽から受ける熱が大きいことを。
しかし、彼女はまだ気づいていない。
次は総理大臣になる。
栄光は麻薬のようなものである。
彼女は振り上げた拳をおろすことができない。
肩書きを外し、化粧も落とした素顔の「小池百合子」として生活することはできるのだろうか。
最後のメッセージにも見られるように、本書を通して著者が伝えたかったことは、小池氏が両親から受けることができなかった本当の愛ではないかと思えた。
2021年10月4日、彼女は、「ファーストの会」という国政政党を立ち上げた。
さらに高く飛べば、蝋でできた翼は溶けることに彼女は気づかないのであろうか。
ぜひ、『女帝』を一読し、マスクに隠れた彼女の素顔を見てほしい。
意外とイカロスの翼を持つのは、自分自身なのかもしれない。
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