「学校に行きたくない」
子どもの悲痛な叫びの裏側で、親の解釈はさまざまです。
- 気持ちは分かるけど、どうしていいかわからない。
- このまま休む癖がついてしまったらどうしよう。
- 親自身も「仕事に行きたくない」と言いたい、でもそれでは社会で通用する人にならない。
ゴールデンウィークなど、長期休暇明けに「学校に行きたくない」という子どもは特に多くなります。
私の小学生の息子も「学校に行きたくない」と言うことがあります。
子どもに「学校に行きたくない」と言われると、私もものすごく悩みます。
本当に難しいですよね。
「学校に行きたくない」というのは、単に学校が嫌だという訳ではない可能性もあります。
子ども自身が不安なのに、親が弟や妹に手がかかり、自分にかまってくれない。
「もっとこっちを向いてよ」が、「学校に行きたくない」と偽装されて表現されることもあります。
だから難しいのです。
学校でも人間関係、部活動、成績など、悩みは尽きません。
特に思春期の人間関係は難しく、クラスだけでなく部活動や一緒に行動するグループなど多岐にわたります。
また原因が特定されたからといって、簡単に解決するものでもありません。
私自身、不登校ではありませんでしたが、学校は楽しくありませんでした。
しかし嫌だけど、誰にどのように相談していいか分からない。
それに「学校に行きたくない」など、自分の気持ちを素直に表現することが苦手。
内心では「学校に行きたくない」と何度も思いましたが、我慢して通学していました。
不登校になることなく、大学まで卒業して教員になりましたが、結果的にうつ病が再発して退職しました。
現在になって思い返すと、「学校を休む」という選択肢もあったなと。
まあ言ったとしても、親が絶対に休ませてくれなかったと思いますが…。
親に対面して「学校に行きたくない」と子どもが言った時、ものすごい勇気を振り絞って言っていることに気づいて欲しいです。
我慢して我慢して、やっと「助けて!」と言ったのです。
「学校に行きたくない」と子どもが自己主張できた時点で、立派なことだと思います。
そのような場合、たとえ仕事があったとしても休んでも向き合う価値は十分あると私は思います。
アメリカの心理学者シーベリーは、悩んでいる人の共通点を見つけました。
それは「I am not like that.(私はそのような人ではありません)」と言えない人でした。
つまり、悩んでいる人は「No!」と言えない人であり、自己表現できない人だったのです。
繰り返しになりますが、「学校に行きたくない」と親に言えた時点で、問題は解決の方向へ向かっています。
私は「No!」が言えないまま成長し、40歳でうつ病を再発しました。
不登校という道を選択したとしても、他の人より早く自己と向き合うことができ、アイデンティティが確立できるのではと思います。
私は退職後、40歳を過ぎて自己と向き合い、アイデンティティを模索中です。
- 学校には行かなくてはいけないのか。
- 「学校に行きたくない」と子どもが言った時にどうするか。
- 進級や卒業、内申書に影響する!?
不登校ではありませんでしたが、大人になっても自己表現が苦手でうつ病になったタッドが解説します。
学校には行かなくてはいけないの!?
「学校に行かなくてはいけない」という偏見
学校に行かなくてはいけない!
さも常識かのように語られますが、本当にそうでしょうか!?
「別に学校に行かなくても生きていける」と親が思えた時点で、ずいぶん心に余裕が出ます。
その余裕は子どもに伝わり、余計な緊張がなくなります。
子どもが「学校に行きたくない」と主張でき、親が「学校に行かなければいけないという執着」を捨てた時点で問題の半分は解決しているのです。
不登校はアイデンティティの確立
アイデンティティの確立というと難しいですが、卵を想像してみてください。
中身が柔らかいうちは外は固い殻で覆われています。
中身がヒヨコになると、固い殻は破られます。
まだまだ柔らかい中身を守るために「不登校」という手段を自ら選択したといえます。
いずれアイデンティティが固まった時、殻が破られるのです
学校に行かないといえば悪く聞こえますが、子ども自身は日々、アイデンティティを模索しています。
俺は社会不適合者なのだろうか。
学校にさえいけば、なんとかなるのだろうか。
私もこんなことをしてみたいな。
小学校から中学校、高校、大学と進学することが普通なのだと、次から次へと何も考えずに船を乗り換えていてはアイデンティティは確立しません。
「一体自分は何者なのか。」
「何が得意で何が不得意なのか。」
むしろ、早い段階で自己と向き合う時間が取れた方がいいのではないでしょうか。
遅かれ早かれ、自己と向き合う時期は訪れます。
私は40歳を過ぎて、自分の本当に好きなことや得意なことを探しています。
より早く自己と向き合い、自己理解を深めると進路選択で失敗が少なくなります。
また長い目でみて、心の豊かな人生が送れると思います。
「学校に行きたくない」と言われた時の親の対応
親が「学校には行かなくてはいけない」という執着を捨てる
私の親は、「学校には行くべきだ」「休むという手段はない」といって疑いませんでした。
ある日、「しんどいので学校を休みたい」と言ったところ、怒鳴られました。
「涙が止まれば行くので、それまで待ってほしい」
結局、私の方が折れて学校へ行きました。
それから自分の気持ちを表現することができなくなりました。
子どもが「学校へ行きたくない」と主張できた時点で解決の方向へ向かっています。
そんなことは百も承知だと叱られるかもしれませんが、私の親のように考える方も実際にはたくさんいるのも事実です。
休むことを許さない親の心中は不安です。
親の不安や緊張は子どもに伝わります。
もちろん、「無理に行かなくていい」と理解できても、不安は消えるものではありません。
ただその少しの心の余裕が、子どもを最悪の事態から救うことになるのです。
「受け入れられた」と、子どもが実感した時の安心感は言葉で表現できません。
「学校に行きたくない」と相談する相手は、親だけでなく友人や先生など誰でも構いません。
保健室の先生やスクールカウンセラーを利用するのも一つです。
とにかく話せる人にSOSを発信することが何より大切です。
受け止める相手が親ではなく、先生側から親に伝わる場合もありますよ。
対話を続け、原因を探る
嫌なことといっても千差万別です。
- 6時間授業がしんどい。
- 季節の変わり目などの時期的な疲れ。
- 一時的な人間関係。
上記の複合的な要因も考えられます。
また学校とは全然違うところに問題があるかもしれません。
体調が悪いと、事態をさらに悪く考えがちです。
担任の先生や部活動の顧問など学校と連携しながら、子どもと対話を忍耐強く続けましょう。
なかなか思うように対話ができない場合は、スクールカウンセラーを活用してみてください。
心理のプロフェッショナルなので、うまく気持ちを引き出してもらえるかもしれません。
スクールカウンセラーは、担任の先生とも連携していますので、学校とのやりとりもスムーズになりますよ。
対話を続けたからといって、解決できることと解決できないことがあります。
また時間が経つことで自然と解決できることもあります。
原因が学校にあるにせよ家庭にあるにせよ、対話を続けることで子どもを孤立から守ります。
対話は時間がかかります。
早く原因を特定しようと、根掘り葉掘り聞いてしますと、子どもは話すことが嫌になってしまいます。
最初は言葉が出てこなくても、親は子どもをしっかり見てますよという無言のメッセージが伝われば十分です。
心身に不調が出ているなら一旦休む
いざ登校する時になると頭痛や腹痛がするなど、心身に不調が見られるようなら、無理せずお休みしましょう。
私は、単に「学校なんかに行かなくていいよ理論」を唱えている訳ではありません。
学校に行かないという選択肢もあり、自己と向き合うという時間は、長い目でみて大切な時間だと考えるからです。
この記事を読まれている方は、悩みに悩み抜かれた末、「学校に行かなくてもいい」と断腸の思いで決断されたことでしょう。
学校に行かないと決断されたことがスタートで、まだまだ手探りの日々だと思います。
ただ子どものSOSを受け止めてあげられた時点で問題は解決に向かっています。
出席日数や受験で不利にならない!?
出席にカウントされるフリースクール
現在では学校と連携して、登校すれば学校で出席認定されるフリースクールが増えてきています。
「学校には行けないけど、できる範囲でやりたい」と子ども自身は日々ジレンマを感じています。
何か意欲がわいてくれば、週1回からできる範囲でチャレンジしてみることで、自信や体力がついてきます。
学校と連携している場合は、出席した日が学校に伝えられ出席認定されます。
進級や卒業
公立中学校では、出席日数が少なくても進級、卒業できます。
会議があり、本人と保護者、学校が進級したい、させてあげたいと一致すれば可能です。
基本的に学校は進級、卒業して欲しいと思っているので、反対されることはありません。
高校受験の時の内申書
出席日数がうるさくいわれるのは、私立高校の推薦入試の時くらいです。
不登校だった生徒を積極的に受け入れるコースを持った専門学校も増えてきました。
公立高校受験時も出席日数でマイナスになることはありません。
まとめ
もし私の親が学校を休むことを許してくれていたら、違う人生だったのかなと考えたりします。
学校に行かないよりは行ってくれた方がいいですが、自分の気持ちを表現することはもっと大切です。
「学校に行きたくない」
その一言からすべてが始まります。
私のように、親に受け止められず、最初の一歩が踏み出せない子どもも少なからずいます。
子どもが「学校に行きたくない」と言えた時点で、問題は半分解決しています。
そこから子どもは自己と向き合い、親は子どもとの対話が始まるのです。
- 親の関心が無意識に弟や妹にいっていた。
- 習い事が負担になっていた。
- 嫌なことを親に話しただけでも心が落ち着いた。
これが対話であり、子どもの話を「聴いた」ことになるのです。
それまでは「聴いていた」つもりで「聞いていた」だけなのかもしれません。
子どもと白紙の心で向きい合ってこそ、対話ができ「聴く」ことができるのです。
そこからが本当のスタートです。
親子ともに暗中模索のような状態の日々だと思います。
子どもは子どもなりに、もがきながら自己と向き合っています。
そのなかで見つけたアイデンティティこそ、生きていくうえでものすごく重要なものになるでしょう。
悩みもがいた末に確立したアイデンティティだからこそゆるぎなく、人生の羅針盤になってくれるのではないでしょうか。
出席日数が少ないからといって進級や卒業できないことはありません。
また高校受験時の内申書にも影響はありません。
その小さな小さなSOSが、子どものゆるぎないアイデンティティの確立につながるのです。
目先の出席日数に囚われて、子どもが人生という大きな海原で路頭に迷ってしまっては本末転倒です。
それでもまだ学校には行かなければいけないと思うでしょうか。
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