中学受験は「親の」試金石だ!
— タッド (@YTXmxikY48AuMLn) December 21, 2021
二人の母が、「我が子だ」と主張して子どもの手を引く。
「痛い」と聞いて、手を離したのが本当の母。
中学受験は誰のため!?
「痛い」と言わずとも表情で察する母もいる。
親としての資質が問われる。#中学受験 #毒親 #毒親サバイバーhttps://t.co/2uZwj7djEv
先日、このようなツイートをした。
中学受験だけでなく、小学校受験などの「お受験」が過熱している。
親としては、有名私立大学の中学校や小学校に入れば、エスカレート式に大学まで上がれるという考えだろう。
幼稚舎受験まであり、お受験は低年齢化している。
中学受験は親の人間としての未熟な部分をあぶり出すイベントでもある
まさにその通りだ。
中学受験を含めた「お受験」は、受験する本人の資質ではなく、親の試金石だといえる。
「お受験」を否定しているのではなく、親自身の未熟な部分を知り、課題に気づかせてもらえる良い機会であり、お受験は親にとっても「良薬」であるとネット記事は締めくくっている。
約30年前に中学受験を経験し、親の未熟さを改めて知った私から、お受験を予定されている親御さんだけでなく、子育てをされている親御さんに対して、自らの経験を交えて「お受験」について考察したい。
中学受験をする本人は11~12歳である。
子どもが必死で頑張っていても、本音はどのように思っているか、親は分からない。
頑張っているほど、親は子どもの気持ちに気づかないものだ。
中学受験を含めたお受験が、親にとっての「良薬」になるように、中学受験の経験者としてお話したい。
断っておくが、私の親が未熟だっただけで、中学受験をされるすべての親御さんが未熟な訳ではない。
異常な受験戦争への切符
小学校の低学年から、プールや習字、そろばんを習った。
小学5年生になった頃、「体験入塾」という形で、そろばん教室をやめて塾に入った。
小学校は家から徒歩で5分もかからない。
ところが塾は、最寄りの駅から電車で3駅乗らなければいけない。
体験入塾とは聞いていたものの、体験が終了することはなかった。
塾へ行くためのカバンが準備され、当時は紙製の回数券を1枚ずつ切り取りながら塾へ通った。
数回体験すれば終わると思っていたが、まさか長く辛い受験戦争への切符になるとは思いもしなかった。
一体誰のための中学受験!?塾選び
実家は食堂を経営していた。
裏口で祖父と誰かがもめていた。
私にとって養育者は祖父だ。
両親はいるが、それを乗り越えて、私の養育に口出ししていた。
祖父には学歴コンプレックスがある。
昭和2年生まれの祖父は、自分より頭の悪い奴が旧制中学に進学するなか、貧困のため高等小学校を出るのが精一杯だった。
後にビジネスでは成功したが、心の葛藤を解決できないでいた。
それが息子(私の父)であり、私の養育に口出しする原因となった。
話を戻すが、祖父が裏口でもめていたのは、ある塾の営業マンだった。
話を聞いてみると、近所のA子が、その塾に通っているという。
「一緒に行くか?」という祖父に、私はこう答えた。
「A子と一緒に行きたくない」
塾にというよりも照れ隠しだった。
近所の女の子と一緒に塾に通うのは、どこか恥ずかしい。
そんな軽い返答だった。
「A子とは一緒のクラスにはなれません」と営業マンは続けた。
A子は後に校区で最上位の公立高校に通うことになる賢い子。
そんなA子と一緒のクラスになりたくても、なれませんよということだ。
今になって考えると営業マンも営業マンである。
そして売り言葉に買い言葉で、祖父に火がついた。
孫を侮辱されたと感じた祖父は、烈火のごとく応戦し、営業マンを追い返した。
あの営業マンを見返す、A子になんて負けるか!
祖父が私を違う塾に入れて、中学受験を決断した瞬間だった。
私自身は侮辱されたとも思わず、見返してやりたいとも思わなかった。
祖父の見返してやりたいという気持ちに、孫が利用された感じだ。
私自身としては、いい迷惑である。
祖父はいろいろと調べあげて、体験入塾を申し込んだ。
眼帯をして、片目で日曜に7時間授業の塾
放課後、いつも通り校庭で遊んでいると母が迎えに来る。
「そろそろ塾の時間だ」という。
箸が転げてもおかしい年頃である。
一気にテンションが下がった。
6時間の授業を終えたのに、また電車に乗って塾へ行く。
帰りは22時くらいになる。
母も中学受験はさせたくなかったみたいだ。
ある日、母があまりにしんどそうな私を見て、祖父に中学受験をやめるように頼んだ。
一週間ほど口をきいてもらえなかったらしい。
同居であり、自営業で無視されるのは苦痛である。
一体、誰のための受験なのだろう。
「痛い」と子どもが言えば、本当の母は手を離したという大岡裁き。
「痛い」と子どもが言っているのに、手を離さないのは本当の親ではない。
そう、私のためではなく、祖父のための中学受験だったのだ。
6年生になると、いよいよ追い込みで、日曜は7時間の授業があった。
平日は学校と塾、土日も弁当を持って塾へ行った。
塾の先生も、当時はめちゃくちゃ怖く感じた。
「あとどれだけで終わるかな」と時計を見ただけで、般若のような顔をした先生に怒られた。
一体、私はなんのために頑張っているんだろう。
高校受験と違い、学校が終われば、周りの友人は自由に遊び回っていた。
自由に飛び回る友人と、理由もわからずに鳥かごに閉じ込められている自分を比べると、余計にしんどくなった。
原因不明の鼻づまりや腰痛に襲われて、耳鼻科や外科を転々とした。
めばちこ(ものもらい)がよくできた。
母がくし先を熱くして、患部を焼いてくれた。
殴られたように目は腫れ、それでも眼帯をつけて塾へ行った。
22時に帰宅すると、患部から膿で眼帯がくっついてしまい、はがすのに苦労した。
そんな姿を駅で見た近所の人から、心配されたものだ。
「塾行きたくないんか、お母ちゃんに言うたろか」
祖父ではなく、近所の人の方が私を気遣ってくれた。
普通は、孫の姿を見て、学歴も大切だが健康を害してまでするものではないと思う。
10年前に祖父は亡くなったが、孫の姿を見て何を思っていたのだろうか。
祖父自身の心の傷を癒やすことが最優先であり、目の前の孫の苦しみは見えていなかったのだろう。
裸の王様である。
子どもは親のおもちゃではない
なんとか受験当日まで持ちこたえ、滑り止めの中学を受験して合格した。
しかし、本命の中学は不合格だった。
1.5次受験をしたいと私は泣き叫んだ。
受け皿として、地元の公立中学校があるが、ここまでやってきたプライドがある。
母もいろいろと電話をして、1.5次受験ができる中学を探してくれたが、最終的に地元の公立中学校に進学することになった。
「また頑張ればいい」と祖父は言った。
彼は裸の王様である。
現実に進学した公立中学校で、
「お前、受験したんちゃうん?」
「落ちたん!?」
となんの苦労もせずに進学した友人から言われた。
中学校は、義務教育なので何もしないでも進学できる。
でも、そのなにもしないでも進学できる中学校に入るまでの、私の苦労はなんだったのか。
結局、なにもしないで入学できるなら、あんな苦労はしたくなかった。
箸が転げてもおかしかった放課後の時間を返してくれ。
弁当を持って1日7時間も勉強した休日を返してくれ。
そして原因不明の鼻づまり、眼帯をしながら片目で必死に勉強した時間はなんだったのか。
A子を見返す、営業マンの鼻を明かすのは、私ではなく祖父の思いだった。
祖父の果たせなかった夢を、なぜ孫がしなければいけないのか。
あれだけ「しんどい」と訴え、母も近所の人が心配しれくれたのに、祖父は気づかなかったのか。
まとめ
中学受験の最中で感じる不安、恐怖、焦り……の原因は、実は子どもではなく、親自身の人間的未熟さです。
中学受験を含めたお受験は、「子ども」ではなく「親」の試金石だ。
お受験を子どもと共に乗り越える姿と、そこで親自身の未熟さや課題に気づくことが大切である。
未熟さや課題に直面した時、どうするかがもっと重要なことだ。
「痛い」と子どもが言った時に、手を離せるか。
本当の親でありながら、自らのエゴが優先した結果、手を離せないことが恐ろしい。
一体、誰のためのお受験なのだろう。
子どもの健康を害してまで、やらなければいけないものなのだろうか。
私の祖父のような裸の王様はたくさんいる。
それが最近の凶悪な少年事件の増加と無関係とはいえないだろう。
「遊び」は最高の学習だといわれるように、基礎体力をつけるだけでなく、子どもは自然と創意工夫をしている。
塾に行くことは悪いことではないが、「遊び」である自由な創意工夫の時間を奪っている。
時間は子どもも親にとっても有限であり、お金で学習体験を買うことは否めない。
ただ子どもの才能は国語、算数、理科、社会だけは測れない。
それに健康を害してまで、勉強はするものではない。
自分の体調を知り、管理できる能力こそ自律に向けて必要なことだ。
今一度、子どもと向き合ってみよう。
子どもは、「あー、今日も楽しかったな!」と心の底から笑っているだろうか。
笑う門には福来たる
福が来るから笑うのではなく、笑うから福がやって来る。
私は笑顔が少ない少年時代だった。
中学受験は親の試金石だと言った。
親が自らの未熟さや課題と向き合わなければ、しわ寄せは、子どもに来る。
だから親にとっては「良薬」なのだ。
ただ良薬は苦い。
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