沖縄は私にとってなじみが深く、好きな都道府県の一つである。
留学時代のルームメイトが沖縄出身で、彼の結婚式で初めて沖縄へ行った。
たちまち景色や文化に魅了された。
後に、三線という楽器を購入して、沖縄音楽を楽しむようにもなったくらいだ。
それからも旅行や義弟の結婚式でも沖縄を訪れた。
社会科の教員時代、授業では、地理、歴史、公民それぞれの分野で沖縄を取り上げた。
そんな魅力的であり、どことなく不思議な都道府県「沖縄」の貧困問題を取り上げた本が、『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』である。
筆者の樋口耕太郎氏は、県外出身でありながら、16年沖縄に滞在し、貧困問題を「自尊心」の面からアプローチした。
なぜ沖縄で貧困が問題なのか?
病は、病名がわからないときが一番苦しい。
病の状態が正確に理解できれば、必要な覚悟もでき、気持ちが落ち着いて、それだけで快方へ向かうことがある。
病に向き合うことは、癒しのプロセスでもある。
私のうつ病でもまったく同じである。
薬は服用するが、あくまで補助だと認識を変える。
そして変えるべきは性格であり、養育過程での考え方が未だに残っていることに気づく。
時間がかかることを承知し、コツコツと取り組もうと思った時点で、病気は快方へ向かっている。
貧困問題でも、個々のウチナーンチュが悪い訳ではなく、沖縄の社会構造自体がゆがんでいる。
そのことを受け入れて、忍耐強く向き合っていくしかないというのが筆者の結論である。
オリオンビールにみる甘えの構造
沖縄では、泡盛は35%、ビール等は20%の酒税減免措置がある。
沖縄は1972年に本土復帰した。
いきなり、本土のアサヒやキリン、サッポロのような大企業と競争する力はないので、当面の減免措置という政策だった。
ところが40年以上経った今でも、減免措置は続いている。
20%分の利益は、競争に勝ち抜くための製品改革ではなく、来年も減免措置を延長して欲しいという袖の下に回されている。
これでは、いつまで経っても競争力がつかないのは当然である。
変わらないことの合理性
筆者は、沖縄の産業構造や人間関係を、労働者、消費者、経営者の3つの面から分析した。
労働者
ウチナーンチュは優しいし、怒らないといわれる。
ところが、実情は波風を立てないように行動しているのだ。
沖縄では、勉強に熱心な子どもを、「マーメー(マメ、真面目)」と呼んで軽蔑する傾向がある。
頑張ることは目立つことであり、頑張ることが許されない風潮なのだ。
労働者は、頑張らず休まない程度に働く。
昇進を拒む労働者も少なくない。
地元愛
消費の傾向としては、身内優先であり、定番商品を好む。
例えば、飲食するのであれば友人の店、散髪するのは近所の散髪屋と、質より人間関係を重視する。
お金もなく、交通手段の少ない中学生のような感じだ。
しかし、使えるお金が増え、車を運転できるようになると、より良いものを求めるのが普通である。
経営者
このような労働者や消費者であれば、沖縄の企業は楽である。
創意工夫しなくても、消費者は定番商品を買い続けてくれる。
新たなことを生み出すより、波風を立てないことが何より大切なのだ。
マーメーである優秀な人材は不必要で、むしろ排除の対象となる。
このような特殊な産業構造により、努力や競争が排除され、補助金などに依存する体質が作られるのだ。
「変わらないことの合理性」と筆者は呼んでいる。
むしろ変わらない方が楽なのだ。
貧困と自尊心
本書の3分の1が、「自尊心」のことについて書かれていることに驚いた。
自尊心とは、できない自分を含めて、あるがままの自分を受け入れる力のことだ。
このような産業構造や人間関係のなかで、自分の羽を信じられないウチナーンチュが増えている。
また自尊心の低さが、貧困率だけでなく、自殺率や重犯罪、DV、幼児虐待、いじめ、不登校、教員のうつなどの高さに表れているという。
本当は羽があるにも関わらず、本人があると自覚しないと、飛べるものも飛べない。
自分のことだけではなく、正しく産業構造や依存体質を知ることが大切である。
沖縄に本当に必要なのは、「カッコ悪い」勇者
愛の経営
筆者は経営を立て直すために、ホテルの従業員へ、1人最低30分面接を行った。
「私はいつまで働けるのでしょうか?」
と言ったのは、勤続10年のパートの女性。
会社の都合で正社員になれず、パートで60歳を超えていた。
ホテルの近くの小さなアパートを買い、一人暮らしをしている。
車がないため、実質的にこのホテル以外で働けない。
世の中のほとんどの経営者は、彼女を時給750円のパートタイマーとして認識する。
ところが、彼女は10年間いつ職を失うかもしれないという最大の恐れを抱いて働いていた。
最近、72歳の嘱託社員を採用したこと、従業員の最高年齢は74歳であること、「あなたが望まれる限り、いつまでも働いてください」と、筆者は彼女の恐れを取り除いた。
その日以来、彼女は別人のような仕事ぶりだった。
キャンドルサービス
人は、難しい問題に対して、難しい解決方法を好む傾向にある。
(中略)
対症療法としては、見事な効果があり、社会的にも評価されるから、ほとんどの人がそのやり方に関心を持つのは、当然である。
社会問題の根源的な治癒を望むのであれば、自分がたった一人で最もシンプルで、最も過少評価されがちな行動を選択する以外にない。
その手法を、キャンドルサービスのようなものだと筆者はいう。
1年に300人に火を灯せば、その300人がまた新たな300人に火を灯す。
一度で火がつかなくても300回目でつくかもしれない。
「人の関心への関心」であり、「愛の経営」とが大切だと筆者は説く。
人に対して関心を示すことと、人の関心に関心を示すことは、まったく異なる。
筆者自身は、沖縄大学の准教授であり、教育現場も同じであるという。
私も指導困難校での経験から、「人の関心への関心」の重要性がよく分かる。
生徒は反社会的、非社会的な行動をする。
未成年の喫煙はタバコが吸いたい訳ではない。
彼(彼女)の関心は、親や教員の注目である。
だから「法律で禁止されている」や「成長を阻害する」と言っても無駄なのだ。
それよりも共感すればいい。
ただただ彼(彼女)の話を聞き、彼(彼女)の本当の関心を探り当てる。
そして、「分かるわぁ~!」の一言。
それが人の関心への関心だ。
沖縄の問題は、日本の問題
グローバルな視点で見ると、沖縄の問題は日本の問題である。
強過ぎる同調圧力である。
日本という島国、さらに小さな離島である沖縄は、協調性が必要であったと地政学の面からいえる。
良くいえば協調性であり、悪くいえば同調圧力である。
地震や災害が多い日本では、協調することで苦難を乗り越えてきた。
ところが、同調圧力が強過ぎることが、グローバル化を遅らせ、ガラパゴス化した経緯がある。
変化する沖縄
ガラパゴス化した沖縄も、すさまじいグローバル化の波には逆らえない。
沖縄嫌いのウチナーンチュが増えているという。
交通手段やSNSの発達で、地元に縛られずに自由な生活が送られるようになった。
そこで「沖縄内部に問題が存在する」というタブーにウチナーンチュ自身が気づき始めた。
「人の関心に関心を注ぐ」「人が自分を愛することの手助け」を基軸とした社会を目標だと筆者は協調する。
沖縄に本当に必要なのは、「カッコ悪い」勇者だ。
己の悪いことを知ると同時に、飛躍するために羽があることにも気づくことができる。
これは沖縄だけではなく、日本にもいえることである。
もう一度「正しく問う」必要があると筆者は本書を閉じている。
まずは沖縄在住16年の筆者自身が「カッコ悪い」勇者となった。
新型コロナウィルスの感染拡大は、観光業をメインとする沖縄に大きなダメージを与えた。
同時に沖縄に本当に求められているものを再考する時間にもなったのではないか。
また多くの観光者が戻ってくるだろう。
私自身も、また訪れる。
新たな「カッコ悪い」勇者は、出てくるのだろうか。
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