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【むかつく】鈍感な人より敏感な人が幸せになれる理由【羨ましい】

あのね~、ここラギやなくて、ヒーですよ

松村邦洋氏がものまねする阪神の岡田元監督の声が脳内で再生される。

葛城育郎ではなく、桧山進次郎を使えと元監督はおしゃってます

視聴者にわかりやすく実況するアナウンサーに、岡田元監督はさらにこう言った。

言うたやんか、ラギよりヒーって

(空気を読まず)関西弁でまくしたてる岡田元監督に、一種の憧れを感じた自分がいた。

タッド先生

岡田元監督みたいに、言いたいことをズバっと言いたいな。

今回のテーマである「鈍感」と「敏感」でいうと、岡田元監督は鈍感なほうだ。

鈍感といっても野球のセンスは抜群である。

目次

鋼のメンタルは本当に必要!?

タッド先生

敏感な人と鈍感な人では、どちらが幸せに生きられるのだろうか。

幸せというより、生きやすいのか。

ささいなことを気にしない鈍感なほうが、楽だという考えがある。

しかし、あえて敏感なほうが生きやすいというのが私の主張だ

今月から新社会人になった人たちは、期待より不安のほうが格段に大きいのではないか。

敏感過ぎる自分が、これから社会でやっていけるのだろうか。

これは新社会人だけでなく、何歳になっても悩みは尽きない。

もっと強くある必要は本当にあるのだろうか。

慣れもあり、なにもしていなくても、人は自然と鈍感になっていく。

だからこそ、敏感な感覚も持っていて欲しいというのが真の結論である

あなたはどちら側?敏感と鈍感の定義

今回取り上げる「敏感」と「鈍感」という定義についてだ。

人はあることAには敏感だが、あることBについては鈍感だということがある。

一概に「敏感な人」だ、「鈍感な人」だということは言い切れない。

それを言っちゃ~おしめーよー!

寅さんの声が聞こえてきそうである。

では私は敏感か鈍感か!?

鈍感なようで敏感だ。

最近、妻が髪を切ったことにしばらく気づかなかった。

致命的な鈍感さである。

しかし、気にすることは、とことん気にする。

他人からの評価や世間体には、人一倍敏感だ。

鈍感なところはあるが、どちらかといえば敏感なほうだといえる。

そして、何をもって「幸せ」、「生きやすい」とするかも問題だ。

ある出来事をくよくよ悩むという一過性ではなく、人生という長い目で見て考えたい。

ベンサムが唱えた功利主義のように、幸福を数値化できるわけでもない。

あまり難しく考えず、どちらが人生をより楽しめるかを一緒に考えよう。

まず、あなたは敏感、鈍感、あえていうとどちらに当てはまるだろう。

直観でいいので、どちらのタイプかを考えて読み進めてほしい。

鈍感な人は強いのか

近所の友達が中学の野球部に入っていた。

彼は下手の横好きという感じで、ボールを顔で受けて救急車で運ばれたことがある。

3年生になっても補欠で、2年生にレギュラーを取られても辞めなかった。

うーん、よく最後まで頑張った

辛抱や美談とも取ることができる。

「悔しい」という気持ちはなかったのだろうか。

悔しさは練習の糧となり、エネルギーになるからだ。

もちろん多少はあっただろう。

元メジャーリーガーのイチロー氏は、太ったら野球を辞めると公言していた。

プロなので魅せる野球を意識していた。

三振して何も思わなかったら、あれほどの結果は残せていなかっただろう。

もちろんプロと中学生の部活動は違う。

しかし、イチロー氏は部活動の時から悔しさをエネルギーに変えていたことは推測できる。

敏感といえないまでも、少なくとも「悔しい」と感じることは必要だといえる

繊細さんの登場

最近は「HSP」や「繊細さん」という言葉もあり、敏感過ぎる人もいるという。

世間体だけでなく、音などさまざまなことが気になり、生活に支障をきたす場合もあるらしい。

私は世間体に関しては繊細さんだというほど敏感だ。

人からどのように見られるかを常に気にして生きてきた。

自分の意見を言えば嫌われてしまうと、自己主張できなかった。

いや現在でも、まだまだ難しい。

だから岡田元監督のような発言がしたいと思った。

鈍感な人にむかつくこと

日本には「察する」や「空気を読む」という言葉がある。

私は好きではない。

やはり言葉で伝えることが大切だ

しかし、言葉で伝えても対応してくれない人がいる。

相手は「嫌だ」という選択肢があるからだ。

私がある仕事の責任者を任された時、会議できちんと担当を振り分けた。

ところが締切が迫っているのに担当者が応じてくれない。

机に付箋を貼ったり、口頭でお願いしたが、それでもしてくれない。

これはさすがにムカついた。

これは鈍感と呼べるものなのだろうか、それ以前の問題なのか。

結局、私がその仕事を代わりにこなした。

最後は誰かがするだろうと分かってのことなのだろうか。

そうだとすると、ものすごくタチが悪い。

鈍感力

「鈍感力」というキーワードがタイトルに入った自己啓発書で見かけるようになった。

世の中の大半は敏感なほうであり、もっと図太く生きたいと思う現れなのか。

実は私ももっと図太く生きたいと思ったことのある一人だ。

上司からの叱責や人間関係、ささいなミスにも動じないメンタル。

超ブラック企業で、同期が次から次へと辞めていくなかで、最終的に残った人が上の地位につく。

顔でボールを受けた野球部員と同様、耐えて耐え抜いた結果か。

いや当の本人は、思うほど耐えた、我慢したという思いすらないのではないか。

結果、昇進したなら、それはそれで良いことだ。

しかし、能力や努力で昇進したかといえば、そうではない。

耐えることも能力の一つだといわれれば、そうかもしれない。

鈍感=大切なものが見えない

社会に順応するということは、五感を麻痺させることだといえる

社会人になりたての頃は、いろいろと怒られてへこんだ。

現在となっては、ささいなことも気にならなくなった。

良い意味で、慣れであり、成長といえる。

タッド先生

しかし、それはとても怖いことだ。

同じフロアで同僚が、怒鳴られていても動じない。

帰りの通勤電車で客同士がケンカをしていても、無意識に関係ないよと心を閉ざす。

ある意味、メンタルが強くなっている一方で失っていることもある。

自宅へ帰る道すがら、冬には見なかった雑草が、街路樹の根元から芽を出していることに気づいただろうか。

サン=テグジュペリの『星の王子さま』に、このような表現がある。

「人間たちはもう時間がなくなりすぎて、ほんとうには、なにも知ることができないでいる」

大人になるにつれて、失われていくものがあることを気づかせてくれる。

「大切なものは目に見えない」

同様に『星の王子さま』のなかで、最も有名な言葉である。

実際は視線に入っているが、気にしていないということだ。

それは見えていないともいえる。

敏感さは世界を救う

なぜ慣れであり鈍感なことは怖いのか。

すべてを当たり前だと思い、疑ってかかかることをしなくなるからだ。

子どもから発せられる「なぜ?」の視点が欠けるのだ。

思いもよらない角度からの子どもの疑問にハッとさせられることがある。

社会に従順であり、当たり前だと思っていれば、新しいものは生み出せない

物だけでなく、社会制度の変革もしかり。

明治維新のように、日本の行く末を案じて、このままではいけないと考えた。

あの時、開国し、近代化をしていなければ、現在の日本はどのようになっていたであろう。

一部の人たちが気づいた危機感こそが、敏感さである

約300年続いた太平の世に違和感を覚えたのだ。

敏感であることのメリット

「鈍感力」が求められるなかで、あえて敏感であることのメリットを考えてみた。

繊細さんと呼ばれ、生活に支障をきたすくらい敏感な人たちもいる。

私自身も、どちらかいえば敏感なほうで、図太く鈍感に生きられればと何度考えたことか。

しかし、そう簡単に性格を変えることはできず、思い悩む日々を過ごした。

タッド先生

岡田元監督のようになりたい!

言いたいことを言えないから私であり、自己主張できれば私ではない。

ささいなことを気にせず、図太く生きられれば楽なのかもしれない。

ところが敏感なので、それができない。

敏感だからこそ、鈍感な人には見えないものが見える

敏感だからこそ、鈍感な人が気づかないことに気づく

見えない、気づかないことは、ささいな悩みだけではない。

ささいな幸せであり、チャンス、人の痛みでもある。

鈍感な人は一見おおらかであるが、チャンスを逃している。

その生ガキのような繊細な気遣いが、ニーズを察知し、新しいものを生み出す

まとめ

なかば強引に敏感であるほうが、より幸せに生きられるとした。

大半の読者が敏感で、「鋼のメンタル」や「毛の生えた心臓」を目指しているのかもしれない。

私を含めた多くの人たちが、図太さを求める一方で、敏感さの必要性も忘れないでほしい

その強い感受性は、必ずあなたを助けることになる。

ある鹿が池に映った立派な角にほれぼれした。

逆に細い足を魅力がないと思った。

ライオンに襲われた時、ものすごい速さで逃げた。

しかし、角が木の枝に引っかかり、食べられてしまった。

鹿は短所だと思っていた細い足に救われ、長所だと思っていた角があだとなった。

自分が長所だと思っていることが、社会では生きず、逆に短所だと思っていたことが生きるという例だ

敏感であることは良くないと思っている人が多い。

実際、鋼のメンタルを手に入れたところで、見えなくなることもあるのだ。

書いていて、ようやく気づいたことがある。

岡田元監督のように周りを気にせず、自己主張したいという自分がまだいる。

オチは、その自分を納得させるために脳内を文章化したものだった。

また自分の繊細さを短所と考える方に自信を持ってほしいと書いたものでもある。

タッド先生

敏感な人、繊細さん、HSPの方に幸あれ!

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この記事を書いた人

名前:タッド先生

関西在住のアラフォー男。

同志社大学卒業。

元公立中学校教師。

既婚、1児の父。

うつ病で退職を余儀なくされ、より良い生き方を模索しています。

約9年間の公立中学校勤務の経験から、子育ての悩み、成績の上げ方の工夫など教育全般について発信しています。

ご意見やご要望などあれば、コメントかメールでお気軽にお知らせください。

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