「いじめ防止対策推進法」が施行されたのは10年前の2013年。
いじめの定義を改め、学校では組織的な対応をとるようになりました。
公表された2022年に文部科学省が実施した「児童生徒の問題行動・不登校調査」の結果によると、
不登校の小中学生は過去最多の約29万9千人(前年度比22.1%増)
うち学校内外の専門機関に相談していない児童生徒も過去最多の約11万4千人。
いじめの認知件数は小中高などで約68万2千件、被害が深刻な「重大事態」は923件。
小中学校と高校の暴力行為の発生件数が9万5426件となり、いずれも過去最多を記録しました。
なぜこれほど問題行動が増えているの?
「いじめ防止対策推進法」もできたんじゃ…。
これじゃ学校に行かせるのが怖いわ。
統計データだけを聞くとなんだか怖いですよね。
確かに統計上は増えています。
「不登校」「いじめ」「暴力」のそれぞれにおいて、増加理由の分析と家庭でできる対処法や考え方についてお話します。
この記事を書いているのは、公立学校に約9年間の勤務経験があるタッドです。
元公立中学校教師という立場から問題行動の増加原因とその対策について分析します。
ニュースを見て、怖いと思われた方も右肩上がりの増加というデータだけに踊らされず、現状を理解して対策していただければ不安は軽減しますよ。
結論から話すと、社会が大きく変化しているのに学校現場は昭和のままなんです。
学校はスクールポリスを配置するなど変化する要素はたくさんあります。
学校に期待し過ぎず、家庭教育や幼児教育を見直してください。
キーワードは「子どもの居場所づくり」です。
子どもが安心して過ごせる居場所があれば、自主的に勉強するようになります。
具体的な居場所のつくり方や不登校や問題行動が過去最多になった原因の分析を順を追って説明します。
今回は長くなったので、気になる場所だけ読んでもらって結構です。
記事を書くにあたり、参考にした本がこちら。
学校改革を掲げる元校長の工藤勇一氏が、学校という公教育の場にいかに民主主義を持ち込むかを提唱した本。
えっ、学校って民主主義じゃないの!?
正しい意味での民主主義ではないみたいです。
私自身、著者である工藤氏のやんちゃな生徒への声かけの仕方がよく似ていたので共感できました。
もしあなたが学校の廊下を歩いていた時、授業中なのに廊下を歩く生徒に出くわしました。
どのような声かけをしますか?
こらっ、何してるの!!!
教室に戻りなさい!
普通はそうなりますよね。
工藤氏は、下記のような声かけをします。
1.どうした?
2.どうしたい?
3.何かお手伝いできることはある?
まず、動機を探ります。
いきなり怒られると生徒も身構えてしまいます。
授業を受けようとしたけど、全然わからないので教室を飛び出したかもしれません。
次に生徒主体でどうしたいのかを聞きます。
教室に戻って授業を受けたいけど、わからないし、最後まで集中力が持つかどうかわからない。
そこで最後に教師がお手伝いできることを尋ねます。
意外と教室まで一緒に行くだけで入室してくれることが多いです。
時にはもう少し話を聞いたり、具体的な悩みを聞いておくと次回の指導につながるのです。
この声かけは家庭での子育てにも応用できます!
ぜひ参考にしてみてください。
※本ページはプロモーションが含まれています。
不登校の増加とその背後に潜む問題
不登校の定義
「不登校の定義」って知っていますか?
何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者(病気や経済的な理由によるものを除く)
つまり、学校を病欠以外で年間30日以上休むと不登校ということになります。
定義自体が何度か見直され、年間50日以上が年間30日以上になり、現在の定義になりました。
不登校の小中学生は過去最多の約29万9千人(前年度比22.1%増)で、うち学校内外の専門機関に相談していない児童生徒も過去最多の約11万4千人を記録しました。
デジタル化とSNSの普及が不登校にもたらす影響
学校の先生よりYouTubeの授業の方が面白くてわかりやすいんだ。
私が現役時代に社会科の授業をしていて感じた生徒の変化についてです。
以前は、「塾の先生は~と言っていたけど」といわれることは多々ありました。
ところが生徒がネットを活用しだすと、「~という仮説もあるみたい」と歴史の授業で飛び出すようになりました。
良いか悪いかはわかりませんが、現在では教科書に書いてあることはすべてネットで知ることができます。
だから私は、いかに教科書から離れつつも最後は教科書の内容に戻るという授業法に変えていきました。
つまり、歴史をはじめ、社会科は面白いと興味・関心を持たせることを重視すれば、あとは勝手にネットで勉強してくれると考えたのです。
ただ社会科の授業でもYouTubeの授業を流しておけば楽になるんじゃないかとも思ったこともありますよ。
でも無料で質の高い授業がYouTubeで受けられてしまうと、逆に「学校に行かなくてもいいんじゃね」という想いが出てくるのも当然です。
「授業が面白くない」「先生が悪い」となってしまい、生徒自身の努力が少なくなってしまう恐れを感じました。
質の高いYouTubeの授業を否定している訳ではありません。
あくまで補助として使ってもらえればいいのですが、「先生の授業がわかりにくいので先生さえ変われば」という他責思考になってしまうことが一番恐ろしいです。
部活動も同じです。
誰でも全国大会に出場させているような顧問に受け持ってもらいたいです。
しかし、実際は不可能なことで、どんな顧問に当たっても最後は本人がいかに努力するかが重要になってきます。
無料で質の高いYouTubeの授業はあくまで補助であり、YouTubeがあるので学校に行かなくていいとか、先生がダメだと安易に決めつけるのはよくないです。
不登校で学校に行けない、経済的に塾へ行かせることができない家庭では、無料で質の高い授業が自宅で受けられればいいですよね。
つまり、YouTubeなどのネットをうまく活用してくださいということです。
時代や社会背景の変化と不登校の関連性
戦後、田舎から都会へ多くの若者が集団就職として出てきました。
婦人服やベビー服などがまだ日本国内の工場で生産されていた頃です。
現在、みなさんが着ている洋服のほとんどは東南アジアで生産されています。
当時、中学卒業の若者は「金の卵」と呼ばれ労働力として重宝されました。
頭脳労働でなく、単純な肉体労働も需要が多く、正社員として採用され定年まで雇用されました。
そのような環境では、集団のなかでいかに規律を乱さず、効率的に作業するかが求められました。
そのために学校が機能していたのです。
決められた時間内に決められた内容をこなす。
集団でみんな同じことを同じ手法で行う。
これが就職先の会社や工場で求められたことなのです。
主体性や問題解決能力はあまり必要とされませんでした。
ところが、単純作業はロボットに取って変わられ、未だに手作業が必要な工程は海外の賃金が低い国に移譲されました。
日本では次第に多くの人が頭脳労働に就かざるを得なくなってきたのです。
そのためにより高い学歴を得なければいかず、多くの人が四年制大学を目指すことになりました。
当然、人には得手不得手があり、すべての人が学校での集団行動や頭脳労働に向いているとは限りません。
そこで不適合を起こした者が発達障害と診断され、社会不適合者の烙印を押されるようになりました。
昔から発達障害と診断されるような人はいましたが、単純な肉体労働などで目立たなかっただけなのです。
安定成長期に入り、すべての雇用を正社員でまかなうことは難しく、一度雇用した人を定年まで雇い続けることも不可能になりました。
定員を40人から35人に、またはICTを活用して「主体的対話的で深い学び」という理想を掲げても、社会構造の大きな変化に学校自体も小手先の対応では焼け石に水です。
終身雇用、年功序列、企業内組合の崩壊で、正社員などの社会のレールから一度でも外れてしまうと救われないセーフティネットがなくなってしまったのです。
このような大人でも先行きの見えない社会のなかで、将来を担う子どもたちの教育の場である学校が高度経済成長期のままなのです。
2022年の小中高生の自殺者数は514人で1980年の統計開始以降で初めて500人を超えました。
若者の自殺者数増加の背景には、「将来へ希望が持てない」ということが大きく関係していると考えられます。
いじめの定義と複雑な実態
いじめの定義の移り変わり
【昭和61年度からの定義】
この調査において、「いじめ」とは、「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認しているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないもの」とする。
【平成6年度からの定義】
この調査において、「いじめ」とは、「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」とする。
なお、個々の行為がいじめに当たるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うこと。
○ 「学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認しているもの」を削除
○ 「いじめに当たるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うこと」を追加
【平成18年度からの定義】
本調査において、個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。
「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。 (※)なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
○ 「一方的に」「継続的に」「深刻な」といった文言を削除
○ 「いじめられた児童生徒の立場に立って」「一定の人間関係のある者」「攻撃」等について、注釈を追加
「いじめの定義を広げすぎたことで、本当に助けが必要な事案が埋もれてしまった」と工藤氏は言っています。
いじめ調査の目的は、苦しんでいる子どもがいないかどうかを探ることであり、いじめを減らすことではありません。
【平成25年度からの定義】
「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。
文部科学省「いじめの定義の変遷」
いじめの認知件数とかいっていますが、「これがいじめだ」という基準がないとカウントできません。
そこで文科省はいじめの定義なるものを出すのですが、上記のように基準自体が変化しています。
過去にいじめでなかったことが、現在ではいじめになることもあるのです。
もう一度、最新の平成25年度からのいじめの定義を読んでください。
一定の人間関係があるなかで、インターネットも含めて本人が心身の苦痛を感じていればいじめは成立します。
小学校6年と中学校3年の間で、このような心身の苦痛を感じなかった人は逆にどれだけいるのでしょう。
工藤氏がいうように、いじめ調査の目的は現在苦しんでいる子どもがどれだけいるかを把握することであり、減らすことではありません。
多くの心身の苦痛を感じている児童生徒にどのようにアプローチし、解決していくかが大切になってきます。
SNSが引き起こすいじめの広がり
最新のいじめの定義には「インターネットを通じて行われるものも含む。」という文言が追加されました。
私が児童生徒の時にはインターネットはありませんでした。
中学生にはスマホを持たせたくないと親が考えていても、周りの友人が持っていれば欲しくなるのは当然です。
集合場所を学校で決めていても、勝手に変更になり、スマホがなければ遊びにいけないこともあるみたいです。
さらにLINEグループや既読無視など、バーチャルな世界でいじめが行われていた場合、学校だけではなく家族でさえも気づきにくい場合があります。
暴力行為の定義とその背後にある要因
「暴力行為」とは,「自校の児童生徒が,故意に有形力(目に見える物理的な力)を加える行為」をいい,被暴力行為の対象によって,「対教師暴力」(教師に限らず,用務員等の学校職員も含む。),「生徒間暴力」(何らかの人間関係がある児童生徒同士に限る。),「対人暴力」(対教師暴力,生徒間暴力の対象者を除く。),学校の施設・設備等の「器物損壊」の四形態に分ける。ただし,家族・同居人に対する暴力行為は,調査対象外とする。
なお,本調査においては,当該暴力行為によってけががあるかないかといったことや,けがによる病院の診断書,被害者による警察への被害届の有無などにかかわらず,当該暴力行為の内容及び程度等が次の例に掲げているような行為と同等か又はこれらを上回るようなものを全て対象とする。
文部科学省「小学校,中学校及び高等学校における暴力行為の状況」
- 暴力事件の種類と犯罪の傾向。
- 家庭内暴力や心理的ストレスの影響。
- 学校内の暴力と犯罪のパターン。
上記が暴力行為の定義です。
暴力といえば「キレる子ども」といわれたことがありました。
キレるというのは自分をコントロールできない状態にあり、さらに不良に限らず一見真面目な子どもが事件を起こすことが問題になっています。
原因はゲームが登場したからやテレビの暴力的なシーンだといわれたこともありました。
しかし、私はそうは思いません。
事件に使われた「包丁」が悪いのではなく、「包丁の使い方」に問題があるのです。
教師だった時、学校現場で彫刻刀を見て大変驚いた記憶があります。
私が使っていた彫刻刀と違い、刃先に透明のゴムのようなものが取り付けられており、キャップではなくそのまま使用するのです。
はなるべく子どもにケガをしないようにするためです。
それでも彫刻刀による授業中のケガは絶えないようで、彫刻刀を使わせない教師もいるようです。
小刀で鉛筆を削る。
力の入れ方や刃先の角度によって時には薄く、時には深く削れる。
手が滑って危ない思いをしたり、手を切ってしまうこともあります。
小さなケガで済むのです。
その小さなケガをすら恐れて使わせないことで、刃物の使い方や怖さまで学習することができないのです。
最近は児童生徒の体に触れるだけで体罰だといわれることが実際にあります。
どれだけの力を行使すれば相手がどうなるのかを知らない子どもが増えたと思います。
その結果として暴力に歯止めが効かなくなった気がします。
学校に求められているものと教育制度
昭和と令和に求められている学校は違う
まず大前提として、昭和と現在の令和の学校で求められていることが異なっています。
ここを同じだと思うので問題が解決しないのです。
繰り返しますが、昭和の高度成長期では社会構造として、年功序列、終身雇用、企業内組合の三種の神器がありました。
またベビー服をはじめ、たくさんの商品を国内で生産していたので正社員としての雇用がたくさんありました。
そこで求められたのが、集団の中で和を乱さずに働く能力です。
パソコンを使った頭脳労働ではなく、手を使った単純作業も多く存在していました。
まさに学校のようにチャイムによって時間が決められていて、同じ服装で作業を効率的に進める能力が求められていたのです。
ところが令和の現在では、高い人件費のために工場が海外へ移転してしまい単純作業の雇用が減ってしまいました。
さらにITの進化で特殊な能力が必要な仕事が減ってしまったのです。
たとえばレジのPOSシステムです。
昔はレジは加算器といって商品代の合計を出すことしかできませんでした。
さらに商品によって、青果や精肉などの部門を手打ちしなければいけなく、講習会を経てさらに練習をしなければ使えなかったのです。
ところがPOSシステムの導入により、バーコードをスキャンするだけで、合計金額や部門、さらには売上日時などの管理までできてしまうのです。
驚いたことにお釣りの計算からレシート、偽札のチェックまでしてくれるのです。
便利というか、誰でもレジの仕事ができるようになりました。
特殊な能力が必要ないということは賃金は低くなります。
最近ではレジの仕事は日本人に敬遠され、外国人が増えてきました。
年功序列や終身雇用がなくなり、先行き不透明な時代に自ら考え生き抜く能力が必要になってきたのです。
文科省も同様のことをいうのですが、実際の学校現場が旧態依然として昭和のままなのです。
学校は学校として、習い事や家庭学習において「生きる力」をつけることが重要になってきています。
体罰とスクールポリス
学校で実施される暴言・体罰アンケートをどのように思いますか?
授業アンケートと同じく、直接管理職から教育委員会に提出されます。
だから「現場の意見が何でも通り、体罰への抑止力になるのではないか」と考える保護者が多いのではないでしょうか。
確かに暴言や体罰は少なくなったのかもしれません。
しかし、中には気にいらない教師のアンケートを実際よりも低く評価したり、励ましとして肩を叩かれたことを体罰としてアンケートに書くケースも出てきているのは事実です。
さらに管理職はアンケートに書かれた内容を絶対の事実だとして該当教師を詰めてくる場合もあるのです。
ある生徒がケンカをして手を出してしまった問題行動を指導する場合を考えてみます。
別室で複数の教師が指導するなかで熱くなり、生徒を蹴ることはできないので近くにあった机を蹴りました。
反省した生徒でしたが、複数の教師が威圧的な態度で迫ったことと、机を蹴ったことがトラウマとなり学校へ行くことが怖くなったと保護者から連絡がありました。
実際に「指導死」という言葉があり、叱責された後に自ら命を絶った例があるからです。
これで一気に加害者と被害者の関係の逆転が起こりました。
心療内科などでPTSDの診断書でもおりようものなら鬼に金棒です。
他の解決策と予防策は改めて話すとして、暴言や体罰に関しては海外で行われているようにスクールポリスを導入して欲しいです。
教師は授業だけ、生徒指導などの問題行動対策はスクールポリスに一任する。
教師の仕事量軽減にもつながりますし、指導死や暴言、体罰問題も減るのではないでしょうか。
心の教育では解決しない
工藤氏は、「心の教育」を否定します。
教師なら全員知っている教育基本法1条に「教育は人格の完成」だと書いてあります。
「人格の完成」ってどんな感じでしょう。
これが心の教育です。
同じく「思いやり」、「仲良くしましょう」、「戦争はダメ」では何も解決しないのです。
実際、工藤氏の息子さんが幼稚園に行きたくないと言った時、工藤氏はこう言いました。
「実はお父さん、職場で嫌いな人がいるんだよね」
その時の息子さんの驚きと安堵の表情は忘れないと著書で語っています。
つまり、息子さんは「嫌いな人がいてもいいんだ」と気づいたのです。
だから「仲良くしましょう」という心の教育では解決しないのです。
「いじめ撲滅の発想が逆にいじめを増やしているのでは」とも工藤氏は言っています。
「トラブルがあったのでA君とは違うクラスにしてください」という保護者からの提案は、子どもの考える力を奪っている。
むしろ対立はあっていい。
いかに自分と違う立場や価値観の人と対話を通じて共存するかを考えます。
まさに社会科の公民で教える「対話を通じた合意形成」です。
中学校の社会科で学習するのに、実際の指導では活かされていません。
さらに「それは本当に正しいのか」というクリティカルシンキング必要と著書の中にありました。
日本は権威主義であり、「ルールは守るものだ」と考える人が多いと。
ルールや規則に縛られ過ぎて、適切な判断ができないと、青信号を妄信して渡っても信号無視の車が来ている場合があるのです。
「信号無視をしろ」と言っているのではなく、青信号でも車が来ていないかというクリティカルシンキングを持って欲しいのです。
これは私も同じことを考えていたので、すごく共感できました。
解決策と家庭教育の重要性
教師はファシリテイターに
ファシリテーターとは集団活動に参加せず中立的に活動を支援する立場の人を指します。
学校でいえば、一方通行の授業をするのではなく、児童生徒のサポートに回ります。
AIの進化も目覚ましいですし、ほとんどの学校でICTの設備が整っています。
「スタディサプリ」や「すらら」のようなオンライン学習ツールを活用して、教師は徹底的にサポートにまわればいいのです。
そうすることで、クラスのどのレベルの子どもに合わせた授業をするかは考えなくて済みます。
また道徳や生活の授業では、価値観の押し付けではなく対話を重視したザ・ファシリテイターの役目が求められます。
スクールポリスの導入
体罰の件でスクールポリスの導入の話をしましたが、、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーを置いて、教師が授業に専念できる環境つくりも必要です。
スクールポリスは未配置ですが、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーは既に多くの学校で配置されています。
生徒指導はスクールポリス、心理精神面のケアはスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーに任せることで教師の業務量軽減にもつながります。
保護者や児童生徒が心構えを変えることも必要
改めて家庭教育が重要になってきています。
そもそも社会構造自体が変化したのです。
教師は学歴もあり絶対的な存在でしたが、現在では教師を超える高学歴な親がたくさん出てきました。
中には「自分の子どもを特別扱いしろ」というような要求をしたり、「~できないのは学校が悪い」という親が登場しました。
公立の学校ですから、まさに社会の縮図です。
親の経済格差や子どもの頭の良し悪し、発達障害を含めて支援学級に在籍する児童生徒などさまざまです。
経済力に物を言わせて中学受験をさせる方もいますが、社会の縮図を見ておくのも非常に良い経験になります。
先生に当たり外れがあるという担任ガチャの記事も書きました。
たとえ担任がハズレかなと感じても成績が上がったり下がったりはしません。
いじめや子どもに危害がある場合だけが本当のハズレだと書きました。
詳しくは記事をご覧ください。
小学校の低学年で宿題をやってこないのは家庭に問題があります。
学校で宿題が必要か否かの議論はしません。
宿題は家庭学習の習慣をつけるためであり、子どもの居場所をつくる意味合いもあります。
たとえ親が宿題の問題を解けなくてもかまいません。
そこで親がどのような態度を取るかが、将来の子どもの成長に大きく影響するのです。
わからなかったら飛ばしとけ。
これどうやって解くんだっけ。
一緒に教科書に戻って復習してみようか。
子どもは教師だけでなく、親の姿勢をよく見ています。
親の背中を見て育つ、子は親の鑑とはまさにこのことなんです。
だから教師だけでなく、親もファシリテイターになって欲しいのです。
「私立中学に行けば絶対に大丈夫」ではなく、子どもと一緒にやりたいことメリットとデメリットを話し合って進路を決めましょう。
親子が対話する時間こそ居場所であり、一緒に宿題をするなどの時間を使うのが理想です。
対話です、一方通行の会話ではダメなのです。
現在の学校では暴言も体罰も許されません。
しかし、スクールポリスは未配置で教師がすべて管轄しています。
学校に期待しすぎるのはやめましょう。
学校は最低限の教育をしてくれる場であり、あれもこれもは無理です。
中には「もっと厳しくしてくれても」という声もありますが、正直、波風を立たせるようなことは良くも悪くもできなくなりました。
元シアトルマリナーズのイチロー氏も高校での指導のなかで同様のことを言っていました。
最近は昔と違って厳しくできない。
厳しくされないからといって自分を甘やかしてしまうとうまくなれない。
いかに自分に厳しくなれるかが重要だ。
教育関係の本や質の高いYouTubeは安価または無料でたくさんあります。
最悪、塾すら行かずにYouTubeの無料動画で高校受験をすることだって可能です。
学校への過剰な期待をやめて、自分たちでできることをしましょう。
昔と違ってネットがあるので、無料で質の高い情報が簡単に入手できます。
私からのお願いは、「家庭に子どもの居場所をつくってください」ということです。
居場所とは、子どもが安心して何でも話せる環境のことです。
子どもが安心して何でも話せる環境は一朝一夕にはできません。
宿題を一緒にする、夕食後に時間を決めて対話するなど、親子の関係づくりは学力向上や非認知能力を高めるうえで非常に大切になってきます。
居場所という航空母艦を持った子どもは、新しい挑戦を怖がりません。
まずは親が教育に関して考えなおす姿勢が子どもの模範になるでしょう。
居場所づくりに関しては下記の記事を参考にしてください。
もっとオンライン学習ツールを活用しよう
「社会はA先生よりB先生の方が良かったのに」と思うより、自分がコントロールできる範囲のことをやりましょう。
昔と違ってYouTubeには無料で質の高い授業動画があります。
AIを利用して自分が苦手な範囲の問題を中心に出してくれるオンライン学習ツールもあります。
もしかすると子どもの方が詳しいかもしれません。
私はどの記事でもインプット<アウトプットといっています。
学力向上には、とにかく問題を解いて欲しいです。
間違えた問題や苦手がわかったら、逆算して教科書や参考書に戻りインプットして欲しいです。
「スタディサプリ」
>>>スタディサプリの公式サイトはこちら月額2,178円から5教科だけでなく、4教科のテスト対策まであり、安価で効率的に学習できるのが魅力的です。
「すらら」
>>>「すらら」の公式サイトはこちら「すらら」は不登校の生徒に特化しています。
条件をクリアすれば、「すらら」での家庭学習が出席認定されるからです。
まとめ
長くなってしまいましたが、令和の学校現場が昭和のままなのです。
いじめの定義に「インターネットを通じて行われるものも含む。」という文言を追加すれば、そりゃいじめの認知件数が増えるのは当然です。
「自宅でYouTubeの質の高い授業を受けられるのに、わざわざ学校に行かなくても」と考える子どもが増えるのも当然。
不登校の中には、いじめなどで学校に行きたくないという元来の不登校に加えて、学校というシステムに合わない、または自宅でも学校と同等の学習ができるので行かないという積極的不登校がいるともいわれています。
学校は学習だけでなく、社会性を学ぶ場でもありますが、「清風カット」や「地毛証明」などのブラック校則が残っていることも事実です。
PTAは本当に必要なのか。
週明けの全校集会はいる!?
つい最近のYahoo!ニュースで、学校のファックスを廃止するという通達が出たと知りました。
私も部活動の合同練習の参加をファックスを使ってやっていましたよ。
時代や社会構造は絶え間なく変化しています。
高度成長期は終わり、経済や雇用が大きく変化しました。
今年の夏の甲子園では丸刈りをしていない慶應義塾高等学校が優勝しました。
丸刈りは軍隊の名残です。
身だしなみと帽子が引っかかって脱げにくいからだそうです。
それに精神論もあります。
春校バレーを見ればわかりますが、女子はショートカットで強ければ強いほど髪が短いともいわれます。
中学校の女子バレー部でも同様の空気感があり、強制されてはいないけど同調圧力から短くしないといけない雰囲気がありました。
丸刈りもベリーショートも悪い訳ではないのですが、そこに対話がありません。
同調圧力や空気感といった目に見えないようなものに支配されているのです。
同調圧力や空気感って工藤氏のいう民主主義ではないですよね。
だからこそ一度立ち止まって考えて欲しいのです。
生徒も親も顧問も入ってとことん対話して、丸刈りに決まれば丸刈りでいいです。
不登校もいじめ、問題行動も何かこの空気感のようなものがあり、最終的に被害者が転校する形であったり、そもそも「不登校は良くないの!?」という議論さえありません。
児童生徒と身体接触があり、主観的に嫌だと感じれば体罰と申告され、叱責されて学校に行く気がなくなれば被害者と加害者が逆転するシステムでいいのでしょうか。
だから工藤氏は、「誰も置き去りにしない学校」をスローガンに対話を重視しているのです。
ただ、現在の学校に期待し過ぎるのはやめましょう!
我が子に危害が及ぶ場合は時系列で記録を残して外部機関に相談してください。
問題は昔になかったインターネットです。
ネット上でのいじめも発生しています。
インターネットは包丁同様に道具であり手段です。
殺人事件が起きたからといって「包丁」が悪いのではなく、「包丁の使い方」に問題があるのです。
インターネットも同じです。
いじめではなく、インターネットをより良い方向で使用すれば子育てもうまくいきます。
そこで改めて家庭教育が大切になってきたのです。
特に子どもの居場所づくりが重要です。
教師だけでなく親もファシリテイターになる時代です。
四年制大学を出て、より良い企業にという時代は終わりました。
子どもの可能性は無限です。
どんな才能が眠っているのか、それをいかに邪魔せず引き出すかは親次第です。
難しいことは必要ありません。
親の価値観は置いておいて、子どもととことん対話してください。
一緒に宿題に取り組んでください。
必ず新しい発見があります。
親が楽しんでタブレットを使ってわからないことを調べる姿を子どもは見ています。
子は親の鑑なのです。
まずは帰宅した子どもに学校のこと、勉強のこと、楽しかったこと、やりたいことを聞いてください。
いきなり根ほり葉ほり聞かれるのを子どもは嫌います。
「またやりたいことがあれば教えてね」といっておけば大丈夫です。
一度関係性ができてくれば、親子ほど強い絆はありません。
なぜ勉強しなくてはいけないのか。
本当に学校に行かなくてはいけないの!?
もしあなた(子ども)が先生なら、どう教える?
制服(標準服)って必要かな!?
それまで当たり前で気にしなかったことを子どもと話し合ってみましょう。
すごい角度から答えが返ってきます。
改めて子どもってすごい可能性を持っているんだなと驚かされます。
もしかすると親が子どもの可能性をつぶしているのではと思うこともあります。
「あなた(子ども)さえ楽しければ、私(親)はいいの」
といわずに、親自身も楽しんでください。
子どもの成長は楽しみですが、子どもだけが依存先になると子ども自身の負担になります。
ゲームでも車でも楽器でもなんでもいいです、まずは親が楽しむ姿を見せてください。
やはり子は親の鑑なんです。
「~しなさい」ではなく、まずは親がやってみましょう。
子どもも親が不安な顔をしていると心配になります。
子どもが第一ですが、まずは親が笑顔で楽しく過ごしてください。
子どもの居場所はそこに生まれます!
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